絶対に最後にみんな死ぬ

究極の予定調和とはなんだろうか、と考えた末のひとつの結論として。
誰がなにをどうやっても死ぬ。GMはPCを虐殺する権利と義務を有している。PLはPCが被殺される権利と義務を有している。
ただしPLは必ずクライマックスまでPCを登場させなければならない。GMも積極的に止めを刺してはいけない。エンディングはエピローグとしてPCの死んでしまったPL(つまり全員)は関連NPCなりをのっとって好きに演出することができる。
クライマックスまでは絶対に死なない。クライマックスには絶対に死ぬ。システム的にそこにフォーカスを合わせて調整している。そこまで徹底した予定調和。
その上でPCを生き残らせちゃうGMが出ちゃったりするのを楽しむゲーム。もちろん絶対に生き残らせない遊び方がデフォ。生き残らせたら「かっこよく死なせようと思ってたのに生き残っちゃったよ」とPLに愚痴られるか文句言われる。
システムタイトルは「絶対運命黙示録」で。(それが言いたかっただけちゃうんかと)


一番簡単な合意事項はなにか、というのが着眼点です。
それはPCの生死だよな、と考え、それを突き詰めた結果、「みんな死ぬとしたらどうなるだろう?」という思考実験の産物です。
このシステムの肝になる部分は、通常であれば最後に敵ボスキャラがGMのPCとして駆逐される予定調和であるのに対して、キャラクターが駆逐される予定調和をPLに転嫁している部分です。
その上で、GMはどのようにPCを殺してもいいわけです……PLがNPCをどのように殺してもいいように。
もちろんゲームとしてはコンセプトから破綻しているので(パラノイアやらクトゥルフやらとは似て非なるものになると思う)、特定のシステムで遊ぶというよりは、どんなシステムであれ採用できる遊び方のひとつとして運用するべきものです。


注意して運用しないと友達をなくすので、遊び半分でやるのはお勧めしません。
しかし、GM負荷を避けてPLに徹しつつ、擬似的にGMの立場に立ってみるという点では、意味のある運用だと思います。
私は別に誰でもGMできるなんて幻想は抱いてませんけど、それでもGMはやってみないとわからない立場だと思うので、間接的にでもなんかわかる仕組みはないかなーと思ってました。
もっともこの運用だと、GMの苦々しい部分ばかり伝わるような気もしますけども。


難しいと思うんだけどなあ。どうせ死ぬからと好き放題やりつつPCを死なせないようにロールしたり、絶対に死なないように家に引きこもったPCをどうにかしてクライマックスで死なせるようにロールするのって。