システムにできること、システムにしてほしいこと

本文にも反応しておきたいと思います。

2008-07-29 - GMブログ - game master
http://gamemaster.g.hatena.ne.jp/inouekari/20080729#1217277493

 TRPGプレイヤーはエスパーではありません。異なる嗜好を持った様々なプレイヤーと卓を囲む現場においては、思いを言葉にして伝えることなくして、意思の疎通はなりません。目標を脳内に描いただけで通じることはないでしょう。であれば、言葉を尽くすことのみが、異なる存在が互いに理解に至るための、たったひとつの道ではないでしょうか。

私の個人的な経験からすると、「言葉を尽くして説明する」ということが、本当に苦手というか、不得手というか、できない人がいます。というか、それができない人の割合のほうが多い、とすら思ってます。
漠然とTRPGを遊ぶ、というスタンスの場合、特に顕著で、極端な話、CRPGを遊ぶような感覚でTRPGを遊ぼうとした場合、明確な目的とかはなくて当然だ、と思います。
そして、明確な目的がないのが悪いことではなく、ただ目的を明確にしたほうが充実感があるよ、というエントリとして私は理解しました。
もちろんそうした充実感がリピーターを増やす要因になることは理解しているつもりです。TRPGを好きになってもらう、わかりやすいポイントだと思います。
しかし切り口として、そうしたアプローチが可能だろうか、という点において、先にあげた理由により、私は困難なのではないだろうか、と考えていました。
その上で、さてじゃあどうすればいいのか、ということを考えてみたいと思います。


まず前提を整理します。
システムの目的は、セッションを遊びやすく遊んでもらうためにあり、結果としてユーザフレンドリーな構造を持ち、何度でも遊びたいと思えるような、充実感をもたらすように設計されている、とします。
これは商業的にも必要な、最低限の前提です。


次にセッションという状況を整理します。
例えばハンドアウトは、「GMがPLにやってもらいたいPCの姿」をセッション前に伝えるために、有効に機能します。
しかし、逆アプローチ、「PLがGMに自分のやりたいPCの姿」を提示する「システム的な補助の仕組み」というのはどういうものがあるのか、残念ながら私は思いつくことができませんでした。
遊んだことあるシステムが少ないっていうのはあるんですけども。


私が想像する「オーソドックスなシステム」的なPC作成の手順だと、能力値とか決めて、出生とか境遇とか決めて、「判定的な意味でのメリット」を受ける設定が追加されます。が、その出生とか境遇とかは、別にPLがやりたいことなわけじゃなくて(そういう場合もありますが)、システムによってランダムに決まったりするだけのものです。
キャラクターを作る時点では、PLはPCの目的を決められない。それはなぜかといえば、PCの目的がなんであれ、シナリオによってPCの行動が強制される面があるから、あんまり事前に目的を決めすぎてしまうと、行動が制約されてしまうから、だと思います。
もちろん、どんな設定でもうまくハンドリングできるPLはいます。でもそれはPL技術の賜物でしかない。そんな個人技を標準に据えたのでは、結局「誰でも遊べる」システムにはならない。


その上で、GMが、PLの目的を吸い上げる、ということが果たして構造的に可能なのかどうか? という点で、疑問が湧きます。
シナリオという状況設定の上でセッションが進む以上、PLはPCを自由には動かせません。GMは基本的にシナリオに準じてセッションを進めるのであって、PCの希望に応じて進めるわけではありません。
くどいようですが、PC=PLの希望を吸い上げることのできるGMはいるかもしれませんが、それは個人技の領域です。アドリブ技術ですから。「できるだけPLの希望を叶えましょう」というのは、心構えであって、システムでサポートしてくれるわけではありません。
システム的には、GMはシナリオだけを見ていたほうが、話を進める上ではやりやすいんです。吟遊詩人が発生する原因であり、なくならない原因でもあると思います。


そしてこれもまた個人的な感想ですが、PLがPCにやらせたいことというのは、実際にはやらせたいことではなく、セッション終了時に、やらせたかったこととして現出する、と思っています。
白地のキャンパスに、いきなり絵を描けと言われても、人物画を描くか、風景画を描くか、好きにしていいよと言われても、私には描けません。とりあえずそこになにがあるのかを確認し、自分になにが描けるのかがわかって、初めて「描きたいもの」が出てくるんじゃないか、と思うからです。
GMはシナリオによって「始める前から目的を決める」ことができるかもしれませんが、PLの立場からすると、「始める前から目的が決まっている」ことは稀、という構造が、TRPG自体にあるのではないか、という疑問です。
ここでは、構造的な問題がある、とします。


最初の問題に戻ります。
PLはどうすれば自分の目的を見つけ、それを他の人に「言葉を尽くして説明する」ことができるようになるのか、ということです。そうすることによって、より充実感を得るためには、なにが必要か、という問題です。
私が思いついたのは、CRPG的な構造の導入で、PCを事前に作成し、それぞれの立場や目的を明確にする方法です。ランダムに作ったのでは決められないPCの目的を、事前に作ることによって決めてしまう、という手法です。PCを作ってから、それに合わせてシナリオを作るタイプの遊び方ですが、PLがPCを作るのではなく、GMがPCを作ってしまう点がおそらく通常の遊び方とは異なります。
GMがPCを作るといっても、設定部分、出生や境遇部分を指定するだけで、データ部分は自由にさせるのであれば、少し強制範囲の広いハンドアウト、程度のものになります。
この解決策は、「その結果、面白くなる可能性が高まるだろう」ということは推測しますが、実際に面白いかどうかは考慮せず、忖度もしていません。「面白い」という主観的要素を判断材料に加えるのはナンセンスです。「こうしたら面白くなるのではないか」という前提に基づいて、面白くなるだろうギミックのみを成立させるという解決策だからです。


振り返ってみると、「PLの自由をどこまで認めるのか?」というのが、根幹に関わってくると思います。別にそんなものを認めなくても、遊ぶことはできるわけです。面白いかどうかは別として。
「できるだけたくさんの人に面白いと思ってもらいたい」という考えは、きちんと「でもこういう遊び方を面白いと思わないかもしれない」人たちを想定して、それを切り捨てる必要がある、と思います。
矛盾は、できるだけ少なくしたほうがいいからです。そして矛盾を減らすことが、目的を明確化する上での、確固たる指針となりうるからです。
「なんでもやっていいよ」というのは、単なる丸投げであって、指針ではありません。自由は制約の中にこそ生まれます。「このシナリオでは、こういうことができるよ」という条件と制約が明確になってこそ、PLは自由に発想できるようになるのではないか。


結局はいつもの通り、「事前のコンセンサスが大事だよね」に落ち着くのは、まあ私の書くエントリなんで察してください。