成功体験と現状維持

サブタイトルは過去への執着です。
相も変わらず定期的に困ったちゃんのまとめサイトを見ています。

ムギャオーの叫び声 困ったちゃんのまとめ - トップページ
http://www6.atwiki.jp/kt108stars/

困ったちゃんはなぜ困った行動を取るのか、ということについて、つらつらと考えてました。通勤中の暇潰しに。


困った行動というのは、おおむね辞書的には↓のような感じをもたらすものだ、ということにしておきます。

こま・る 2 【困る】 - goo 辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?kind=jn&mode=0&MT=%BA%A4%A4%EB&IE=euc&type=sleipnir

(2)相手の行為を迷惑に感じる。

困るのは、困った行動をしている人ではなく、困った行動をしている人の周囲の人間だ、ということですね。この構図は大事ですし大前提です。
困った行動を取ると、結果的には困った行動を取る人も困ることになる、という循環論は置いておいて、とりあえずの起点にあるのは、"周囲の人が困る"という状況です。


いつもの例えとして、AさんとBさんを想定します。Aさんが困った行動を取った結果、Bさんが困りました。AさんはBさんを困らせたくてそういう行動を取った、というのはこの場合除外します。嫌がらせが目的の人もいるかもしれませんが、そんな性根の曲がった人は放置するか関係を断絶するか本腰入れて"修正"するしかないですから。
Aさんがそれと意図せずに、結果的にBさんを困らせるという状況はあるだろうし、Aさんの行動がたとえばCさんにとっては困った行為ではないこともありえる、という状況を想定してみましょう。ここでの"困った行動"というのは、AさんとBさんの価値観の違いでしかありません。Aさんはそれが必要だからそうしているだけのことです。
結果的にBさんが困るという結果をもたらすにしても、ではAさんはなぜそういう行動を取るのか、あるいはAさんがそういう行動を取り続ける理由はなにか、別の見方をすれば、Aさんはそうすることによってなにを得ようとしているのか、ということを考える必要があるように思います。


堪え性がないとか我儘だとか想像力の欠如だと非難するのは簡単ですが、非難しただけで問題が解決するなら今頃もっと殺伐とした社会になってると思うので、それは原則的には解決に至る道ではないとして除外しておきましょう。そういう特性が行為者にあるかもなーってのは心情としては理解できますが。
"困った行動"がなんらかの成功体験に根差しているのでは、と想像することは、そんなに難しいことではないと思います。人間、生きてりゃうまくいくこともうまくいかないことも体験しますが、基本的にうまくいかないとわかってる行動は取らないもんですから。うまくいったことがある行動か、うまくいくだろうと思ってる行動かを選択するだろうし、その時に周囲の状況を的確に認識できてるかどうかが問題なだけです。
あるいは、うまくいくと思える行動がわからないので、とりあえず思いついた行動(適当と思える行動)を取るか、というところだと思います。まったく経験もしたことがなければ想像すらしていなかった状況に投げ込まれれば、とんちんかんな"困った行動"と思われてしまうような行動を取ってしまうこともあるでしょう。


そうした不可抗力的な理由があるから困ったちゃんを見逃せ、ということではありません。注意したい人は注意すればいい。でも、他人に優しく、自分に厳しくというのは、結局は自衛の手段であって、他人のためだけのものではないんです。なにが優しくてなにが厳しいのかすら、自身の体験に根付く以上、そんなものばかり追求しても意味はありませんが。
ここで重要なのは、自分の行動は、自分の意図とは離れて迷惑行為として認識される可能性が常にある、ということです。自分の過去の経験では成功した行為が、成功体験を繰り返そうという現状維持のままに同じことをしたら迷惑行為扱いされることがある、という可能性を考慮する必要があります。成功と失敗の定義は主観要素が大きいので、周囲は失敗だと思ってても当人だけは成功だと思ってるような状況は、多かれ少なかれ誰にでもあるでしょうし。
もちろんそんなことに怯えて委縮して楽しめなくなっては本末転倒ですけども、どんなに楽しく遊んでる時でも、他人が迷惑に感じている可能性はあるわけですから(自分も愛想笑いぐらいするのに相手が愛想笑いしてるとは考えない人が以外といる気がします。自分とか)、そうした指摘なり注意を受けたなら、それは素直に受け入れる必要もあるだろう、ということです。それがどんなに理不尽な注意だったとしても、注意している人にしてみれば(たとえ理解はできなくても)理はあるわけですから。


無条件で全部受け入れろって話ではもちろんなくて、過去の成功体験に固執して、目の前の状況を把握して理解することを放棄しないように、ということです。
相手が理不尽なことを理不尽だと気付かずに喋ってるなー、という状況を理解できれば、ただ反発する以外の対応も取れるんじゃないか、ってことですね。相手の正しさをあなたが理解する義務はありません。ただ、相手は自分が正しいと思ってることを喋ってるか、あるいは自分にとって得があるようなことを喋ってるんだ、ってことを想像しながら言い分を聞けば、少なくともディスコミュニケーションに陥ることはなく済むだろう、ってことです。それでもなに言ってんだかわかんない人もいますけどね。
前述した通り、わざと迷惑行為をしている人は注意すればいいし怒ればいいし切り捨てればいいと思います。でも迷惑行為をする人みんながみんなそうなんだと思いこんじゃったら、それこそ困ったちゃんの始まりになっちゃうと思ったのです。