プレイ時間の短縮化構想、あるいはただの妄想

以前から気にしていたというか、どうにしかしたいなあ、という思ってた部分についての言及がありましたので、引きあいに出しつつ解釈及び解法は独自見解でつらつら書きたいと思います。

Dragonoid Factory: [TRPG] なぜTRPGのセッションは1時間で終わらないのか?
http://dragonoid.txt-nifty.com/df/2009/03/trpgtrpg1-3c2b.html


いわゆるボードゲームといわゆるTRPGを比較して考察した場合、単純に「選択肢の実質」が取り上げられるんじゃないだろうか、と思います。
もっと平易に書くと、「TRPGでは"とりあえずやれること"がルール化されているが、それ以外のこともやればできる」というのと、「ボードゲームは"やれること"がルール化されていて、それ以外のことはできない」という違いです。
これについてはブックマークコメントでも言及されています。

nakamz TRPG, コミュニケーション 意思/情報の伝達に自然言語を使用+それによる選択肢の増加じゃないかな。そこが高度にコマンド化されているTCGや(軽い)ボドゲとの明確なプレイ速度差になって現れて来るんだと。

では、こう考えたらどうでしょうか。
「バトルパートはドラクエファイナルファンタジー方式のコマンド式」にして、「アドベンチャーパートはサウンドノベル方式の選択式」にする。
GMの処理能力等々、"参加者に能力を要求せずに"短時間化を推し進めようとする、どうしたってこういう解決方法が出てくると思われます。あくまでも手段の一つとして。
そして私は、これでなにがまずいのか、という点において明確に反論できません。


というのは、以前からの懸案である「ゲームシステムの抽象化レベル」という概念からすると、「初心者は抽象度の高いシステムで遊んだほうがとっかかりはいいんじゃないか」という着想が前提にあるからです。
抽象化レベルが高い、というのは、大雑把に言えば「バトルパートはドラクエファイナルファンタジー方式のコマンド式」ということです。「たたかう」というコマンドがあった場合、「どう攻撃するのか」という点については考慮しません。まあ装備してる武器で殴るわけですが、どう殴るか、フェイントをかけるとかかけないとか失敗したら防御もできないぐらいの大振りで全力攻撃するのかとか、そういったことは無視する、ということです。
ここで重要なのは、「攻撃する」という抽象的な行動のみをシステム的に処理することができる、ということです。
で、そういう遊び方に慣れた上で、もうちょっと攻撃の仕方について具体的に、つまり抽象度を下げて処理するようにしていったほうがわかりやすいんじゃないか、と考えています。


「アドベンチャーパートはサウンドノベル方式の選択式」というのは、実は抽象化手法ではないんですね。むしろその真逆、具体化手法です。
そして逆に、具体化しているからこそ、それ以外の選択肢を隠蔽する効果もあります。PLは想像力を制限され、選択肢を制限され、提示された選択肢を選択しなければならない。*1
選択しないという選択肢は、ゲーム終了と同義です。としたほうがわかりやすいのでそうします。つまり、提示された選択肢を選択しないという選択は、ゲームに参加しないと宣言しているのと同義だということです。これは他の参加者に対する侮辱、マナー違反である、と定義できます。
ここで重要なのは、「第三の選択肢の選択を許容するか」という点です。まあ第三が第四でも第五でもなんでもいいんですが、要は「選択肢として提示された選択肢以外を選択することが可能かどうか」ということです。
一般的に(って表現はあまり好きではないですがわかりやすいのであえて使います)、パターナリズムとその打破というのは、慣れ、あるいは経験の集積と、それに対する不協和音で構成されている、と思われます。なんか日本語としてわかりづらいですが、お笑い芸人とかが典型的なパターンをなぞりつつ"オチ"をつける、というのは、オチの部分でパターンから逸脱している、とも言えるんじゃないかなと。*2
そして、いわゆる"黄金パターン"ですら、パターン内での分岐=選択肢は複数あります。究極的にはそうしたパターンの複雑な絡み合いが物語になると言ってもかまわないと思います。黄金パターンというのは、結局、「こういうときはこーするよね」という参考事例"集"に過ぎず、参考事例は、現実に即しているからこそ参考事例として役に立つからです。
いままでにないパターンを試す、というのは、まず基本的なパターンを経験してからでもいいんじゃないだろうか、ってことです。そして、ルールブックが提示すべきシナリオってのは、「そのシステムにおける基本パターンを提示する」ことができるシナリオなんじゃないかなってこと。


極端な話、私は、「初心者には選択の自由なんていらねえんじゃねえの?」って思います。そういうのは、ある程度システムに慣れて、ある程度遊び方に慣れて、「物語の展開」なんてものに考えが及ぶようになってからでも十分間に合うんじゃないかな、と。
シナリオ展開で、なんらかの行為判定があって、成功するか失敗するか。それだけで展開は分岐します。させられます。初心者に適しているのはそうした分岐であって、「自分でありもしない選択肢をひねり出す」ことではないんじゃないかなと。そもそもそんなことは、TRPGに慣れた人でも咄嗟にはできねーじゃん、と思います。
で、短時間化させるということは、言い換えれば無駄な時間を削るってことだと思います。答えの出ない問いに悩むのは有益ですか無駄ですか? 悩むのが楽しい人には適していると思いますが、TRPG初心者の何割ですか、それって? 私の友人知人を想定するに、そんな遊び方を進んでやりたい! なんて思うような人は、かなりレア、奇特に分類されます。*3


というわけで、ここでの結論は、「アドベンチャーパートはサウンドノベル方式の選択式」「バトルパートはドラクエファイナルファンタジー方式のコマンド式」を採用して、「習うより慣れろ」を実践してみるというのは、十分にありなんじゃないか、と思います。
その先で、時間がかかる遊び方をするのもよし、時間がかからない遊び方をするのもよし、ちょっとだけ自由度上げてみたりするのもよし、じゃないでしょうか。
「時間がかかる/かからない」というのは、環境要因であり抑制要因かもしれませんが、遊ぶ上で必須の要素ではないんじゃないでしょうか。
遊ぶ上で必要なのは、まずなによりも「楽しんで遊ぶ(遊べる)」ことでは? といつもの根本提起でこの話は終了です。

*1:PLに葛藤を押し付けるならこの手もありだな、と思いましたが、それはまた別の話

*2:これは別のエントリのネタとして考えてたことでもあるので、詳しく書くかもしれません

*3:環境要因は捨て置きます