競争はいつどこでなにに対して発生するのか

前回のエントリに味をしめて、そもそも論者として覚醒しかけたのに冷や水を浴びせかけつつ、とりあえず自分内整理を粛々と続けていこうというスタンスを再起しようと思います。
んでまあ、今回は前回取り上げた"play"と"game"における「競争」というものがどういうものなのか、ということを考えてみよう、ってところです。この辺をシステム側から見て再解釈してみようと。
これらの整理は基本的には将来的に作るかもしれないオリジナルシステムへの布石であるかもしれないし、単に現在存在するシステムへの運用レベルでの視点の導入にすぎないかもしれないことを、改めて付記しておきます。


さて、「判定」という行為を、競争の単純化として捉えてみます。ダイスのような乱数生成装置によって、「勝利者を事前に想定することができないようにする」言ってみればギャンブル化するための行為、です。単純にダイスを2個振りあう、という状況を想定してみると、ここにあるのは運だけです。判定者Aと判定者Bの運だけが、行為判定に影響します。「良い出目を得る」という要素だけ、ってことです。
これは、言い換えれば究極の抽象化ですが、これだけだと味気ないし、戦士と魔法使いが武器による攻撃判定をしようが魔法の発動判定をしようが、運だけで優劣が決まってしまうということにリアリティの欠如を覚えるかもしれません。
ただし、ここでは、競争行為自体は、「競争が発生した場面」に限定される、ということを特筆しておきます。事前準備とかシステムに対する理解とか、そーゆーものは一切勘案されず、影響されない、ということです。キャラクターの能力値だのなんだのは一切影響しない、ということですから。

設定において、戦士の魔法が炸裂し、魔法使いの杖が一撃する、なんてディティールに対する妥当性が提示できてれば、別にかまいはしないと思いますが、その場合は戦士だの魔法使いだのいうクラス分類は不要だろうとも思います。そんな余談はさておき。

では若干抽象度レベルを下げて、キャラクターレベルが判定に影響する、としましょう。上方判定のほうがイメージしやすいと思うので、ダイス2個の出目にキャラクターレベルを足して判定する、という感じです。
この場合、判定者には、「キャラクターレベルを上げる」というモチベーションが発生します。あくまでも判定は競争なので、「判定に勝つ(勝とうとする)」のが参加者としての態度としての基本原則になるからです。
この場合の競争行為は、「キャラクターレベルを上げる」というところから始まっています。「競争が発生した場面」以外も、競争に影響する、ということです。これには事前準備とかシステムに対する理解とかが絡んできます。キャラメイクによってキャラクターレベルを上下させられるのであれば、その時点から競争は始まっていると言えるでしょう。「キャラクターレベルを上げる」「良い出目を得る」が要素です。

キャラクターレベルがどのように上がるのか、判定の結果によって上昇するのかどうか等で、インセンティブを発生させることができます。判定しないことによってレベルが上がるというようなパラドックスもジレンマとしては面白いかもしれませんが遊んでてあんまりすっきりしないのは目に見えてるので、まあこれも余談の域を出ません。

さらに抽象度レベルを下げて、キャラクターレベルと能力値が判定に影響する、としましょう。キャラクターレベルと能力値とダイス2個の出目を足して判定する、って感じです。まあ足そうが掛けようがその辺はどーでもいーんですが。
この場合、競争行為は「キャラクターレベルを上げる」「高い能力値を獲得する」「良い出目を得る」という要素に分割されていきます。
いい加減な一般論に基づいて、能力値はキャラクター作成時点で決定するものとします。能力値の決定方法はランダム手法と選択手法がある、とします。ソードワールドみたいにダイス振って能力値を決めるのをランダム手法、アリアンロッドみたいに種族選んでクラス選んで能力値を決めるのを選択手法、とざっくり分類します。
ランダム手法の場合、「能力値を決定する時の運」が競争に関係してきます。
選択手法の場合、「能力値を決定する時のシステム理解度」が競争に関係してきます。


これ以上抽象化レベルを下げるのはめんどくさいのでとりあえずこのぐらいにしておきますが、「判定」と言っても、それに関わる要素は何段階にも分割されます。
なんてのは当たり前の話なので、あえて強調するまでもないんですが、上述した通り、抽象化レベルに応じて、「把握しなきゃいけない情報量」が変わってきます。

  • 「良い出目を得る」だけなら「サイコロの出目が大きければいい」とかを把握するだけで済む
  • 「キャラクターレベルを上げる」だけなら「どうすればキャラクターレベルを上げる(高くする)ことができるか」を把握すればいい
  • 「高い能力値を獲得する」だけなら「どうすれば高い能力値を獲得できるか」を把握すればいい

これらを複合させた時に、いわゆる「複雑なシステム」だのが発生するわけです。

で……じゃあボスってのはなんなのか、ってことが気になるわけです。プレイヤーがキャラクターを育ててレベルを上げてようがシステムを理解して高い能力値を獲得してようが良い出目を得ようが、卓袱台返しできちゃうのがボスでありひいてはGMが設定するNPCという無限リソースだろう、ってことです。
GMとPLをグループ化した場合、GMが持つリソースとPLが持つリソースを1:1化しちゃえばいいんじゃないだろうか、というのを常々考えてます。人数比で言えば1:4かもしれないけど、性能比で言えば1:1にすればいいんじゃないか、ってことです。
まあこれはキャラクターリソースを厳密に数値化しないとできないのでただの妄想なんですが、でも、いわゆるバランスってのはそーゆーことなんじゃないかというのが最近の考えです。
でもそーすると今度は回り回って「良い出目を得る」だけが競争要素になっちゃうじゃん、ってのもあるなあ、と思います。善し悪しではなく好みの問題ですが、システムへの理解が不要であるなら……判定に関わるシステムってなんなんですかね。

で、さらに極端な話というか根本的な話になるわけですけども。
そもそも、「運」を競うことは競争たりえるのか、という疑問もあるわけです。逆に、技術だけを競うことが競争なのか、という疑問もあります。
競技者側になったことはほとんどありませんが、陸上競技等々を想像してみるに、本番まで努力し、本番では運にも賭け、結果的に勝利者が決まる、と思います。「努力=成果=勝利」ではないし、「運=成果=勝利」でもない。
そこでは「高い能力値を獲得する(=努力)」と「良い出目を得る(=運)」の二つの要素が複雑が絡み合っているわけですけども、どちらが欠けてもダメというのは、「普段どれだけ努力してても運次第でダメ」「普段そんなに努力してなくても運次第でアリ」という中間的状況が発生する。
それ自体はしょーがない。そーゆーもんです。でも、そーゆーもん、では納得できないのも事実だと思います。
そうした観点からすると、乱数要素をある程度制御できるシステム(カオスフレアとかかな? ルール知らないので伝聞ですが。とりあえずエンゼルギアはこの点、制御できる系統に属してると思います)が両者を並び立たせるにはシステム合理性は高いんじゃないだろうか、と思います。多少運が悪くてもどーにかなるけど、あまりにも運が悪かったらどーにもならない、ってのはそもそも救済する筋の話でもないですし。
そもそも論で言えば、運が悪いことを救済する必要があるのかって話でもあるんですが。(クイスタのサチを思い浮かべつつ)