Gameとはなにか? Playとはなにか? 構成要素によって定義される、あるいはされない要素

結局のところ、TR"P""G"ってなんだろう、って話です。
最近いろいろと書いてきた中で、やはりそこの根っこの部分が自分は一番整理ができてないらしい、ということに気付きました。
んでまあ、定義付け自体を争点にしても時間効率が悪いので、いつものgoo辞書からざっくりと意味を引いてみます。

gameの意味 英和辞典 - goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/game/m0u/game/

playの意味 英和辞典 - goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/play/m0u/play/

それぞれ多様な意味があるわけですが、ざっと見たところ、「遊戯」「競技」という点で共通点があるように見受けられます。遊びであり、競うものである、と。
ではTRPGという言葉を構成するそれぞれの単語の意味からすると、TRPGとはどういうものになるのか、というのが今回のエントリ。

あそび 【遊び】の意味 国語辞典 - goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/%CD%B7%A4%D3/m0b1r0e/

遊びと一口に言っても、これまたいろいろな意味があります。
個人的に目から鱗だったのはこの意味。

(4)気持ちのゆとり。
(5)機械の連結部分が、ぴったりと付かないで少しゆとりがあること。

言い換えれば、ギスギスするようなもんじゃねえってことだわなあ、と。

きそう 【競う】の意味 国語辞典 - goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/%B6%A5%A4%A6/m0b1r0e/

互いに負けまい、勝とうとして張り合う。競争する。

一見すると、遊びと競うには相反する要素があるわけですが、こう言い換えれば矛盾はしません。
「リラックスした状態で競争する」
勝敗が本質であるかどうか、は判断を保留しますが、勝敗が存在するという点は問題がないように思います。そして、どのような勝敗条件が存在するかについては、これは事前には取り決められていない、と考えてもいいんじゃないでしょうか。
まあ、TRPGである、とした時に勝敗条件が定義されてもかまわないんですが、結局その定義は(現状からすると)多様に思えるので、あんまり定義されてるとは言えないだろうと。


さて、では自分にとっての勝敗条件はなんだろうか、と振り返ってみようと思います。
まあこの辺は簡単で、「自分が楽しんだかどうか」です。これが主です。従としての「他の参加者が楽しんだかどうか」は否定しませんが、そっちを主にするつもりはありません。建前としても論理としても、自分が楽しくなきゃ参加者が楽しんだことにはならないので、最低限自分が操作できる範囲で、自分が楽しいかどうかは否定も捨てることもしません。
と、ここまで書いたところで違和感があったので、その原因を考えてみたんですが、どうも「勝敗を決める」という行為が疑問視されている、勝利条件そのものが他者との競争を排除した自己完結型のものであることがぼんやりと気に入らないことに思い当りました。まあこれについては被害妄想的ななにかもあるかもしれないので話半分というか余談の扱いで。

悔しさをバネに成長する、というプロセスはあると思いますし、ありだと思います。成長の動機付けとしては一般的だろうし。スポーツ漫画を引き合いに出すまでもなく、小学生だって、いや幼稚園児だってなんらかの形で競争して、勝ったり負けたりして、勝とうとしたりしてるもんです。
打たれ弱い」と、これが難しいのかもしれない、と思います。あと、打たれ続けたら誰でも折れる気がします(心が)。勝敗は勝ったり負けたりが必要で、誰かが一方的に勝ち続けたりするのは、やっぱり負ける側にしてみれば精神的につらい体験になるんでしょう(win-winの関係とかそーゆー話とは接続しません)。
でも個人的には打たれ弱い人が打たれ弱いことを理由に打たれ弱いことを肯定するのはなんだかな、です。心が折れちゃってる段階かもしれないから、その分ぐらいは考慮してなんも言いませんけども。
この辺は私がまだどん底を経験してないとかそーゆー話で終わってしまいそうなので特に掘り下げはしません。できないし。

また、TRPGにはPとG以外の要素もあります。次に取り上げたいのはRの要素です。

roleの意味 英和辞典 - goo辞書
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej/role/m0u/role/

まあ大雑把には「役割」のことです。いままで、この「role」と「play」を掛けて「役割演技」というように語られていたように思います。キャラクターを演じることこそが「role」であり、それを「play」することが「role play」である、と。
でも先日ふっと思ったんです。そういうものなのかな? と。それだけのものなのかな? と。(NPCと)PCにしか「role」はないのかな? と。
TRPGにおいての「role」というのは、TRPGというフレームワーク上で考えれば、「GM」と「PL」という「役割分担」に根差すものなんじゃなかろうか? と思ったわけです。
そうだとすれば、PC演技がどうとかいう瑣末な問題は、roleという軸の評価からは外れることにもなるし、GMとPLの関係なんてものはただのコミュニケーションの立ち位置の関係なので、誰だって否応なしに組み込まれてしまう類のものにしかなりません。戦士盗賊魔法使い僧侶みたいなPT編成の話すら、役割分担からは乖離していきます。


TRPGを「T」「RPG」で語るのではなく、「TR」「PG」で語るとどうなるのか、というのが最近の興味で、かつこれを実践するとどうなるかとかが楽しそうに思えます。
でも、それらが整理された先になにがあるか、は、まだよくわかりません。正直、うすぼんやりと自分のやりたいことが見えてきた、程度の状況です。
一般的になるかどうかはさておいても、切り口としては面白そう。