しなりおのつくりかた

まず大前提として、「最初からシナリオを作れる人はいない」ってことにしておきます。
その上でまあ、なんというか、思ったこととか。なんか。
ちなみにセイクリッド・ドラグーン自体は伝聞レベルでしか知りません。

[TRPG] 大失敗に学ぶ: Dragonoid Factory
http://dragonoid.txt-nifty.com/df/2009/06/trpg-bcee.html


で、まあ、シナリオ。
私の経験からざっくり説明しちゃいますけども、私が初めてTRPGに触れたのは中学生の頃で、その頃からGMをやってます。当時からGM比率高めで遊んでたわけですが、まあ当時のシナリオは(中学生が作ったというのを差し引いても)ありえない出来だった、と断言することができます。
具体的な原因については後述しますが、それはなぜダメだったのか、というのはわりと簡単で、「シナリオを作るときにPLの視点を考慮していなかった」ということです。まあありがちな話だと思ってます。実際には、考えはしましたが、想像もできなかったし反映もできなかったので同じことですね。
当時のシナリオは、システム理解だのなんだの小難しいことすら考えず、「楽しそうなことができるシナリオ」という観点でシナリオを考えてましたが、まあ中学生が考えるような話ですからどっかで見たよーな話の展開だったり、脇が甘かったり、オチがなかったり、いろいろあったわけです。
当時のPLがシナリオを楽しんでいたかどうかはわかりませんが、シナリオなんてたぶんわりとどーでもよくて、ゲーム好きで共通の話題を持つ友人が集まったときについでにTRPGをしてた、という楽しみ方だったと思います。なので、シナリオなんて実際問題、どーでもよかったと。だからいい意味でも悪い意味でもシナリオの評価というのは発生しなかったと。
なのでまず第一点として、「楽しむためにはシナリオは不要なこともある」ってのは大事なことだと思ってます。そして私は、いまでもシナリオを作ってはいますが、それでもなお、シナリオ自体は楽しさを保証しないというのは意識して"マスタリングを"しています。
つまり、シナリオとマスタリングは無関係だし、シナリオと楽しさも無関係だけど、マスタリングと楽しさは関係がある、という図式を基本方針にしています。


あと、システム理解ってのもわりとどーでもいーもんだと思ってます。
言い方は悪いかもしれませんが、「説明書をきちんと読んで遊ぶ」のが好きな人がシステムが理解できるよーなシナリオを楽しめるだろう、と思います。でも、説明書なんて読まないでゲーム始めるよーな人にとっては、システム理解はわりとどーでもいいと思います。ちなみに私は後者なのでどーでもいーもんだと思ってます。
システムごとに楽しみ方、楽しむポイントがあるということには異論はありませんが、それが必ず面白かったり、万人に受けたり、誰にでも理解できるものではない、というのは、まあ十何年もTRPGをやっていれば体感的にもわかってきます。システムには必ず向き不向きがあり、どんなシステムでも、多かれ少なかれ合わない部分が誰にでもあります。
日本語がややこしくなってますが、第二点として要約すると、「すべての人にとって、100%すべての点が楽しめるシステムなんてものは存在しない」ってことです。
だからまあ、システム部分についてはほどほどでいんじゃないか、ってことです。システムってのは究極的には楽しみ方のフレーバーでしかない、というのが私のスタンスです。


次に、シナリオの先が見え見え、というのは、これは難しい話で、というのも、参加者、特にPLというのは、日によって体調も違えば推理能力も違うものだからです。サークルで長い付き合いがあって「この人ならこのぐらいできるだろうな」とわかってても、実際のセッションの日に体調が悪ければできなかったりするし、その逆もあるわけです。
なので、シナリオの先、つまり展開が見えている、あるいは見えていない、というのは、セッションの成功、あるいは失敗の要因にはしないほうがいい、と私は考えています。そもそもその基準で考えてしまうと、公式シナリオなんて一回やったらその後は「絶対に楽しくないシナリオ」とゆーことになってしまいます。
TRPGの楽しみは、そーゆーところにはない、と思います。それが第一点、「楽しむためにはシナリオは不要なこともある」にかぶってきます。
では、どうすればいいのか。先が見えていても楽しませるにはどうすればいいのか。
ということは、裏を返せば、PLはなにが楽しくないのか、ということでもあります。私の乏しいPL経験からすると、「PLとしてやれることが見え見えで、しかもそれを要求されているような雰囲気の中で、それを覆したらセッションが崩壊しそうだから従順にならなきゃいけないとき」です。
これはつまり、きつい言い方かもしれませんが、GMに対する信頼がない状態だ、とも言えます。GMの技量に対して信頼がないPLは、そしてセッションを崩壊させるような行動はマナー違反だとわきまえているPLは、楽しくなかろうと最後まで遊んではくれるものです。
ただ、これだけは断言できますが、100回セッションやって100回ともが必ず楽しいセッションだった、なんて人はいないと思います。楽しさ半分、楽しくなさ半分、みたいなセッションは多かれ少なかれあるだろうし、基本的には楽しさのほうが楽しくなさよりも割合として多いから続けれるし楽しいと思えるんだろうと。
心構えとして、必ず楽しいセッションにしよう、というのは大事ですが、そんなものは結果を保証しないし、失敗した経験(心構えに反した結果)をトラウマにして次回のセッションでも失敗されたりしたら、そしてそれを理由にされたりしたら、その時は完全に「楽しくないセッションに参加したなあ」と思うでしょう。
失敗をバネに、参加者に対して「今回は失敗したけど次回は頑張る」と正面向いて言えたほうが、まあ成長はするんじゃないかなと私は思ってます。
失敗したくないんだったら、それこそTRPGなんてやらないでコンピュータゲームやったほうが精神衛生上いいんじゃないですかね。少なくともコンピュータゲームは(プレイヤー単独で遊ぶ系のは)失敗したって誰も文句は言いませんから。
というわけで要約の第三点は「失敗を恐れる必要も、失敗を責める必要もない」ってことです。ただ失敗を認める気持ちだけがあればいいと。


んでもってたぶん一番大事な要素であるところのマスタリングですが。
マスタリングというのは、ロールプレイではないです。なので、NPCがコマのように扱われていたとしても、それ自体はマスタリングの問題ではありません。
問題なのは、NPCをコマのように扱った結果、PLが楽しくない方向に展開を誘導してしまった場合です。これは明確にマスタリングの失敗です。
NPCをコマのように扱うのがダメというのは、言い換えればメタ視点でのGMからの助言を否定する論法です。そんなものを否定したところで、セッションが楽しくなるわけではありません。
そもそも、NPCの効用というものをなにか誤解している、とさえ感じます。NPCは、ストーリーを誘導する係かもしれないし、PCを補完するリソースかもしれないですが、まずなによりも、プレイヤーが操作しないキャラクター、つまりGMのキャラクターです。GMの目的というのは、「シナリオ通りに展開させる」ことではなく、「プレイヤーを楽しませる」ことです。だから、プレイヤーが楽しいならコマだっていいし、単なるリソースだってかまわないわけです。
その時に、GMにとって楽しくないNPCの扱い方をされたら、それはむしろ抗議すればいいだけです。NPCにだって人権、ではなくキャラクター権、のようなものはあるだろうし、それはプレイヤーではなくGMに帰属し、だからこそプレイヤーは「思い通りにできないNPC」に行動を振り回されるわけです。
誘導というのはその先にあるものであって、NPCのロールプレイができるかどうかなんてのは些事です。NPCはPLに対する飴ではないです。飴と鞭です。あと、PLのPCに対する愛着はNPCとか関係ないです。PCとNPCの関係で生まれるのは、NPCに対する愛着だけです。
そうやって、NPCに対する愛着を利用して、PCのモチベーションをPLが管理せず、GMNPCを経由して管理しなきゃいけないとしたら、PLってなにやってんですかね? と私なんかは思います。全部GMにお任せしたいんだったら、そんなPLはGMにとって不要ですよ。小説書いてるほうがなんぼか建設的です。

あとこれは直接的には関係のない余談なんですが。

[TPRG] 「NPC役割配置からのシナリオ作り」を考えてみる: Dragonoid Factory
http://dragonoid.txt-nifty.com/df/2009/06/tprgnpc-b7b3.html

「ゴブリンに困った村人が冒険者に助けを求める」というようなテンプレートとその効力を、本当に理解している人ってどんだけいるんだろうか、というのが私の中に違和感としてあります。
テンプレートという話に要約すると、エンゼルギアのテンプレートは、「敵が攻めてきた」と「どっかの馬鹿の尻拭い」の2種類です。あとは両方とか。本当にそれだけでシナリオが作れます。
私がやることは、そうした中でのNPCの肉付け、演出、魅力化だけです。それでまあ、大体はシナリオになります。シナリオを作るという意味では、そんだけで十分だ、というのは上記エントリでも書かれている通りです。
そういうシナリオを「ありきたりだ」と表現することはできます。まあ実際、ありきたりなんです。裏を返せば、「ありきたりだとPLが判断するだろう」ということも、容易に推測できるシナリオ、なんです。
ありきたりなシナリオというのは、PLの思考力を鈍らせる効力を持っています。ということは、ありきたりなシナリオのほうが、PLの意表を突く演出は容易になるということでもあります。
もっとも、ありきたりなシナリオでPLの意表を突こうとすると、意表を突くための演出もまたありきたりになります。
でも、それでいいんです。PLは、本当の意味で、思考の死角からの演出なんてものは望んでいません。PCをいきなり洞窟に放り込むのはありですが、PLをいきなり暗闇に放り出すのはなしなんです。ありきたりなシナリオに、ちょっとしたアクセントをつけて、読みが当たっただの外れただの騒ぐPLをにやにや眺めればいいんです。
PLの意表を完全に突いた結果得られるのは、「PLの困惑」や「PLの混乱」です。たとえるなら、火事場にPLを放り込むようなもんです。そんな状況で、PLにまともな反応が期待できると思いますか?


GMの第一の仕事は、PLが理解できるシナリオを作り、PLが理解できるマスタリングをし、PLを楽しませるということです。PLが楽しむ姿以上の報酬をGMが求めようとするのは、今度はPLの負担が増加するということを忘れてはいけないと思います。それはGMの負担のPLへの転嫁でしかないんじゃないでしょうか。
ディズニーランドで、出演者が「自分たちを楽しませて欲しい」なんて思ってると思いますか? 私は最近になってようやく遊びに行ったんですけども、あそこの演出はまず客を楽しませることにあるというのがわかったからこそ楽しめたし、ファンにもなったし、また行きたいと思うようになりました。
まあそのためにはお金(=コスト)がかかるわけですが。それは出演者も飯を食わなきゃいけないんだからしょうがない話で、TRPGの場合は基本的にそんな生活かかってるわけじゃないので、金銭のやりとりとは無関係な次元の話です。
GMにもっとも求められる資質というものがあるとすればそういうもので、マスタリングに必要なものもそういうもんじゃないだろうか、と私は思います。PLに楽しんでもらいたいという気持ちを、自分が楽しみたいという気持ちよりも伝えることができれば、PLは楽しんでくれると、そう思います。
理想論かもしれないですけどね。この程度のことが理想論だなんていわれるようだと、先は暗いのかもなあ、とも思ったり。


「PLがなにが楽しいのか」は、「自分はなにが楽しいと思ったか」を日々観察してればそのうちわかるようになります。そしてそーゆー楽しさをPLと共有し、楽しそうに思ってくれたPLと大して反応のないPLを覚えておけば、勘所も培われていきます。
そーゆー地味な努力なしに「成功する方法」だとか「失敗しない方法」だとか「うまくなる方法」なんてもんを模索するのは時間の無駄です。習うより慣れろ、当たって砕けろ、知識だけでできることなんて、そんなないです。
↓の辺のハンドアウトの話も同じだと思いますよ。ハンドアウトとはなにか、それはどう機能するのか、どう使えばうまくいくのかは、体感してみなきゃわからなかったというのが私の感想です。

[TRPG] ハンドアウト再考、うまくまとまらず・・・: Dragonoid Factory
http://dragonoid.txt-nifty.com/df/2009/05/trpg-80b8.html

自分なりに理解しなおす、いってみれば(誤用ですが)車輪の再発明をしない限り、どんな道具であれ有効に使いこなすことはできないと私は思います。