PC番号の機能とモチベーション

手が回る範囲で、応答する必要がありそうなあたりに応答していきたいと思います。
言い訳と釈明が半分ぐらいで、あとの半分は同意でできてます。

TRPGは物語をつくる遊びです!」 - knsrの日記(ほとんど卓上ゲーム
http://d.hatena.ne.jp/knsr/20090912/p2

ううん・・・私は”PC(番号)”ってシナリオに必要なスキル・ロール・その他キャラクターの属性でしかないと思う。

ハンドアウトはPCにくっつくものであって、それをどうプレイに生かすかはPLの自由で良いし、また、「みんなに迷惑をかけない」以上の事をPLへ求めるのはアレだなあと思いました。それから、何故そういう事をPLに求めるかというと、「GMの高負荷・負荷の分散」があるからだと読めましたので、「GMが楽なのは〜」を付け足しました。というわけです。

PC番号に応じてスキル・ロールが決まってしまうと、作成したキャラクターは「PC番号に応じた性能」を持つことを要求されて、役割が固定化されるんじゃ? ってところが若干の疑問でした。
GMを楽にするために」というアプローチとしては理解もできるし納得もできます。あとはコンベンション環境とかだと、そういうのもありかなあ、とは思います。参加したことないので実際のところはわかりませんけども。
カジュアル環境で、準キャンペーン(キャラクターの使いまわし)前提の運用しか想定してない私の場合は、それはPLへの押しつけがひどいんじゃないかなあ、という風に読めました。キャラクターの使いまわししづらくなっちゃわないかな? と。
この辺は環境の差もあるかと思います。それに、運用とシナリオ構造でどうとでもなる部分なのもわかります。でもそれは、負荷があっちいったりこっちいったりバトンパスみたいにたらいまわしにしてるだけにならないかな? って感じちゃいました。どちらかといえば、負荷自体をなくす方向で努力したいよねーと思うので。
でもそうやってシステムフォローの度合いをあげてくと、システムへの意識的介入って意味での民意(?)の反映が敷居高くなってくなー、なんてことも最近は考えてます。

キャラクターに関しては、「キャラクターはプレイによって完成にいたる」です。だもんで、私は最初から設定をずらずらくっつけるルールが苦手だったりします。システムの特徴を現す設定は1つ〜2つで良いよー。プレイヤーがキャラクターを動かした結果の個性の方が面白いと思うんですよ。

この辺は同感です。FEARゲームだとキャラクター作成のフレームワーク的な部分で生まれだの境遇だの決まるので仕方なくくっつけますが、私はそれにこだわったりはしませんていうかできません。

プレイヤーにルールを理解してもらう事、その上でプレイに参加してもらう事、キャラクターの行動には何がしかの成果が得られる事、プレイヤーの動きを気にかける事、プレイヤーがプレイに集中できる事・・・などなど、プレイヤーが「参加したい」「キャラクターを行動させたい」と思える場をセッティングする事が重要な事です。

この辺はちょっと認識の前提が違うかなーと思ったので補足します。
「プレイヤーが参加したいと思える場」というのは大事だと思うんですが、そのアプローチについて、私は「シナリオの段階で(ストーリーの)ブレを極力少なくする」ことを意識しています。「プレイヤーが参加しようとしている場がどういうものなのかわからないとダメだよね?」と思うからです。
というのは、情報は基本的にGMが握るものであり、PLの設定後付けもGMの承認を要求するものであり、このためにPLは的外れな提案をしやすくなり、GMがどうにもフォローできなくて却下せざるをえなくなる事態があるだろう、ということを想定するからです。
PLの情報限界が、ストーリーに対する(設定の後付けという形での)積極的な介入を阻んでしまうし、GMの役割としてのストーリーハンドリングが不要としてしまうと、(私はストーリー重視でマスタリングするので)立場がなくなっちゃうんですよ。
というのも、たぶん(エセ)ミリタリであるところのエンゼルギアをやってる関係もあると思うんですが、ストーリーの前提、発端部分と、ストーリーの結論、終着部分が、関連がないならまだしも矛盾していたりすると、モチベーションが崩壊しちゃうからです。「な、なんだってーΩΩΩ」な展開はまだしも「それはないわ……」てなっちゃったらアウトと。まあ別にエンゼルギアに限定する必要はないかもしれませんし、それでもGMとPLで合意取れてればかまわないんですが。私は合意しづらいというだけで。


なので、PLができるだけ反応をしやすくするために、シナリオ段階での整合性をある程度は担保する必要があるし、それはGMの役割だろう、とする前提があります。
この辺は、環境の差と考え方の差かなーとかも思います。「GMの責務」みたいなのを意識するのがあんまりいいことだとは思ってませんが、どうひっくり返しても私は(いまのところ)そこに執着してしまうようなので。

GMは、物語へのコントロール権を手放せばずっと楽になるますよ。

というのも同意できて、実際にそれをやったことがあるんですが……
GMとして、楽しめなかったんですよねえ……
なんか、いままでがっちりと握っていたものを手放した虚しさというか、これはこれで楽しいんだけど、こういう楽しさが欲しいわけじゃないなーという違和感というか。
慣れ、の話だろうし、そのほうがGMとしてもPLとしても楽かなー、ってのはわかるんですけども。なんかそこで楽しちゃダメかなー、っていまんとこは思ってます。