上達するのは誰か、あるいは上達するためのシステムとは何か

最近、D&Dに興味がむくむくと湧いてきていて、こちらを参照することが多かったのですが、そこでこんな話題があったので、追随してみようかなと。
だいぶタイミング遅れですけども。

もっとTRPGが巧くなれって論調が好きではない - 鯛足烏賊の戯言メモ (。ω゜).。oO(TRPG下手にして老害 ★48△8
http://d.hatena.ne.jp/Tirthika/20090910/p1

元エントリは斜め読みしましたがまじめに読んでないし、これ書きながら読み返してるのは上記エントリだけです、と先にお断りしておきます。


で、そもそも論として、私が気になったのは「上達したいのは誰で、上達するべきだと言っているのは誰なのか」ということです。
「上達したい」んだから、それは自分で言ってることでしょう。周囲からの影響でそう思わされたのだとしても、上達したいと決めたのは自分だ、と自己決定と自己責任の合成をあえて行っておきます。
で、「上達するべきだ」と言っているのは、実は誰もいないんじゃないだろうか。誰もいないと言うと語弊がありますが、そもそも、なにをして上達だと言っているのかについて千差万別である以上、「TRPGプレイヤーは上達するべきだ」という文脈で語ったとしても、それだけでは具体的な上達内容なんてものは存在せず、抽象的で漠然としたイメージしかないのではないか。
そして、その漠然としたイメージに追い立てられているのは、「上達したい」誰かでしかないんじゃないか、なんてことを思ったわけです。(実際には存在しない)藁人形に追いかけられて、どこにたどり着けるのかといえば、よほど運がよくなければどこにも辿りつけないんじゃないだろうか、それは確かに「上達」なんてしようがないだろう、と。
己の心に惑わされてなんだかよくわからない「上達」がなんだかよくわからないけどできなかった、なんて思ってる人がいたら……「そりゃそうですよねー」としか言いようがないんじゃないか。
上達したいと思っててうまくいってない人が悪い、って話ではなく。そういう理路もあるかもしれない、という程度の話で、それなら周りはフォローする必要がある、というのが私のスタンスです。下手くそなのは(大体において)お互いさまなんだから。


というのも、上記エントリの冒頭に、こんな文章があるからです。

技術面だけで言えば、上手/下手を分けるのは『自キャラは何が出来て何が出来ないのか』を把握してプレイに臨めるか否かでしょう。

TRPGにおいて、技術的な上手/下手=上達を語る際に、「自キャラは何が出来て何が出来ないのかを把握する技術が重要である」と断り書きをしなければ、他者に理解されない・共感されないのだとすれば、「TRPGにおける上達」の模範的なモデルはない、ということになるのではないか。もちろん、丁寧に前提について記述しただけ、ということもあるかもしれませんが、ここではそれはあえて横に置くとして。
なにをもってして上達とするか、という点において、さまざまな可能性があり、選択肢があり、自らが望む技術を向上させることができる、あるいは技術を向上させないことを選択することができるのであれば、その環境は自由であると言ってもかまわないと思います。
実際にはプレイグループやプレイするシステムに応じて必要な技術は異なり、そうした環境要素によって選択させられる「上達させるべき技術」がある以上は、「上達させたい技術」についての自己決定権なんてものは絵に描いた餅にしかならない。自己決定もできない以上、自己責任だって取りようがないのに、「上達しなかった結果」の責任を取るのは、自分自身しかありえない……それは、悲惨、としか言いようがない。


ここでは技術を広範で雑駁な概念で扱っています。「コミュニケーション能力」も含めるし「システム理解」も含めるし「確率計算」も含めるし「リソース管理」も含めます。あらゆる「TRPGに関係する技術」ぐらいの意味合いでの技術、です。
それが真に「技術」である、とした場合、向上可能である、とします。上限値は個々人で異なるにしろ。「技術」として設定するのは間違っているものも中にはあるだろうと思いますが、そうした細かな話はここではしません。
個人において向上した技術の上限値が、他者に要求される水準に達していなかった場合、「未熟だ」という状況になります。それがいい悪いではありません……本当にそれが上限値かどうかなんてのは、本人にもわからないですし。ただ、不可避的に、不可抗力的にそうした状況がある、というだけのことです。
他者に対して未熟だと言う権利は、基本的には誰にもありません。未熟だと言うだけで解決する問題はないからです(未熟者を排斥できて、それが解決だと考えられるなら別ですが)。誰かが未熟だとわかっているのになにもしない人こそ責められるべきで、未熟者をフォローできる人が「巧いプレイヤーだろう」と、上述のエントリーでも書かれています。
これは、無理に上達を求める、という意味ではないはずです。できない人はできない、という観点も必要だ、という意味です。もっとも、フォローされる側にその自覚がない場合、感情的な泥沼に突入しそうですが。他人の助力を受け入れるのも、それはそれで、技術ではないにしろ、誰にでもできることではないと思いますので。
「自分は出来てる」と思ってる人に「いや、お前出来てないし」なんて言ったらどうなるかは……火を見るよりも明らかです。


で、「上達したい人」の話はこのぐらいにして。
「上達できるシステム」ってなにかな、と考えたわけです。私はシステム的なアプローチが好きなので。


最近、システムというのは、ユーザの思考力を奪うんじゃないか、ということを考えています。ユーザはシステムにやらされるだけになって、それはシステム的には合理性があったとしても、その合理性を理解しないままやらされたユーザは、そのシステムから何一つ得ることはないだろう、と。
システムの合理性をどう記述するか、という部分で、どういうのがいいんだろう、というのは、まあ考えたってわかるこっちゃないんですが、それでも最近、考えなきゃいけないことがあって、考えてます。
ぶっちゃけ、商業作品でその辺を掘り下げて記述するのは無理だと思います。そんなこと詳述しても、別に売上伸びないし、ページ数だけ増えて原価が上がるだけだろうから。だからこそ、システム解析的な記事が(雑誌とかブログとかで)あるのかなあ、と。
そうした多様なシステム解析も面白いんですが、実際にプレイする段になると、どうもシステム理解が参加者間でブレちゃって、ギミックの使い方が違うようになるよなあ、とも思うわけです。


エンゼルギア2ndで言えば、オーギュメント。あれ、けっこう死にスキル化することがあるんですが、私は「それでも別にいんじゃね?(ストーリー(ロール)さえ描写できれば)」というスタンスですが、「やっぱ消費してこそのギミックじゃね?」というスタンスも、当然あるわけです。
細かいシステムの話になりますが、ロールプレイ支援システムとしてのMOEシステムがあり、MOEシステムに乗っ取って運用する、ということを考えれば、オーギュメントは消費すべき、というのが一般解だと思います。ロールプレイによってパトスチットというリソースを獲得し、獲得したリソースを消費することでオーギュメントというリソースを得る以上、得たリソースは消費するのが正しい流れなんでしょう。たぶん。消費させないために獲得させるリソースなんてものはないでしょうから。
この辺は、ロールプレイという雑駁なものをシステムに組み込む上での避けがたい問題、と認識してますし、だからこそオーギュメントの消費のようなリソース消費によるコンセプト付けは、個人的にはあんまり好きになれません。ロールプレイ重視がコンセプトなんだから、ロールプレイができる以上、ギミックに依存しなくてもいんじゃね?(それで合意が取れてるなら)と。
もちろん、リソースという観点から見れば、過剰なロールプレイを抑制する効果も兼ねていると思うんですが……乗せるだけ乗せておいて(乗るように仕向けておいて)、最後に梯子を外すような抑制手法というのは、あんまりいい向きには捉えられません。


つまり、オーギュメントは、肝心な部分で、ロールプレイ重視システム、というコンセプトを、支援はしてても表現はしていない、ということになっていると。私の認識はそうなるわけです。運用の話なんで細かく突っ込んでも不毛なんですが。
そうしたシステム(ギミック)がうまいかどうかという点で、うまいとは表現し難いものがあります。そういう理解をしているのにエンゼルギアで遊び続けてる理由は……実際のところ私にもよくわかりませんが。
システムごとに、上達できる/しやすい技術、というのは異なると思うんですが、この辺はid:koutyalemonさんとかid:acceleratorさんとかid:ggincさんとかのご意見をうかがってみたいところ。他の人がダメって話ではなく、このお三方の話なら、たぶん私にも理解できそうって意味で。