ある作戦計画参加者の手記(2)

『シ号計画』

不老不死の研究と聞かされていた。神を作り出すなどという眉唾な話ではなく、神の如き能力を持った死なない兵士を作り出すことが目的だと。
軍部がこの計画に口を挟んだ理由は、端的にそこにあったらしい。神などという超常現象を、徹底した現実主義である軍が求めるはずがない。
合衆国が前線に投入した天使兵なる兵器に対抗するためには、神そのものでも戦線に投入しなければどうにもならないような状況だとも聞いている。どれが真実なのかはわからない。だが神などという高天原の存在を信じるよりは、不老不死を信じるほうがまだましのように思える。
そもそも、その神となれる存在が、ミカドの血を引く者でなければならないというのなら(これはただの噂だが)、土台、そんなものを前線に投入できるわけもなく、この作戦の骨子からして揺らぐことになる。そんなものにこれだけの人員を投入できる余裕は残念ながら我が軍にはない。そうであるなら、それ以外の目的があるのだ、と考えるのが妥当だろう。
しかし、不老不死、という言葉もまた、バカバカしさを伴っていることは否めない。人は死ぬものだ。他の誰でもなく戦場で戦う我ら兵士こそがそれを知っている。人の死なない戦争などない。
だからこそ、不老不死にすがりたくなる気持ちも湧くのだろうか。
神国ヤシマを守るために、私は軍に入った。しかし、現実はどうだろう。報道を賑わす戦勝報告など真っ赤な嘘、前線は日々後退し、撤退に次ぐ撤退を余儀なくされている。
どうにかしなければという焦燥ばかりが募る。しかし、天使兵とやらの圧倒的な攻撃力を前に、どうすればいいのかなど想像もつかない。空母をたった一兵で落とす兵器など、どのように対抗しろというのか。
もし本当に神が作れるというのなら、本当に作って欲しいものである。それで戦争に勝てるのなら、友軍を失わずに済むのなら、どんな非現実的なものでも受け入れてしまいそうだ。
軍は兵士の総機械化兵化も考えているという。物資の都合上実現しないだろうとは言われているが、健康な生身を切り刻まれることを想像すると、ぞっとする。