この朽ちたる身が願わずにはいられずに(10A)

「貴様が裏切り者だったのか」
 冷めた眼差しでヴィヴリオ大佐がつぶやく。まるでこうなることを見越していたかのように。
「最初から、スパイでしたよ。裏切りなんてとんでもない」
 くわえた煙草に火は点けず、右手に構えた拳銃を大佐の眉間に向ける。
「ヤシマの統合作戦本部が私を排する理由はないはずだが?」
 ちりちりと右手が痛む。引き金を引いてしまえとささやきかける。
「表面上は、確かに。裏に回ったところで、あなたを殺したいと思っている人はそうはいないでしょう」
 それは敵ではないということではなく、敵に回したらなにをされるかわからない、ということでしかない。天使兵を誘き寄せる餌、公然の秘密となっているその噂を聞いてなお、ヴィヴリオを殺す理由は存在しなかった。
 敵が来るのが確実なら、どこに来るかわかっていたほうが対処は格段に楽になる。いまだ完成したとは言い難いシュネルギアや完全機械化兵にも限りがある以上、あえて戦力を分散する愚を犯すぐらいなら、多少の胡散臭さに目をつぶったほうがマシというものだ。
 そんな単純な計算もできない過激派も、いないではないが。大戦時にヴィヴリオが築き上げた人脈は、そんな過激派を押さえ込むには十分すぎるものだった。
「だから、そう……これは私の個人的な事情という奴でして」
 むろん、そんな事情を望んだわけではないが。結果として、そういうもので出来ている自分がいるのだから仕方がない。
「……哀れだな。どこの施設かは知らないが、科学者の慰みモノになって尚、それに忠義を尽くすか」
 引き金を引く。
 それは狙い違わずヴィヴリオを外し、壁に弾痕を穿った
「あなたになにがわかると言うんだ」
 私の正体を知っていることなど、この際どうでもいい。そんなことは大した問題ではない。
 それを知った上でなお哀れみの眼差しを向けられ、同情の言葉を投げかけられるなど、あってはならないことだ。
「私とて、大戦中は実験動物だった。わからないこともない」
 出自が不明な、G3の大佐。世界大戦の影響で戸籍情報が紛失した統一帝国人も多く、それ自体はそれほど不自然だったわけではないが、大佐の地位につくために彼女が成した軍功すらも不明であるというのは、あまりにも異常だった。
 そのぐらいの事情は、知っている。そういうこともあるだろう、程度にしか思っていなかった。自分も、似たようなものだから。
 なんてことだ。どこか似ていると思っていたら、そんなところが似ていたのか。
「生体材料を使って誤魔化しているようだが……貴様の体、生身の部分など残っていないのだろう?」
 その通りだ。この脳と脊髄を除いて、すべての部位は生まれつきのものではない。
 十歳になる前に両手両足を失った。それはすでに遠い昔、世界大戦の始まった頃、帝国が版図を拡大し始めた頃に起こった、ありきたりな悲劇。
 両足は地雷に吹き飛ばされた。回収された先で、両腕は実験に邪魔だからと切り落とされた。芋虫のような体にのしかかり欲望を満たす男共は、去り際に唾を吐き捨てていき、それを自力で拭うこともできなかった。
 体のあちこちを機械と置き換えられ、拒絶反応に何度も生死の境をさ迷い、気がつけば髪の毛は白く染まり、二度と成長しない体だけが残されていた。
 生き残ったのは、天佑なのかもしれない。機械との相性がいい体、そんな気持ちの悪いものになってまで生き残りたかったわけでもないが、ただひたすらに死にたくなかった、それだけが幼い日々のすべてだった。
 私の体を好き勝手弄り回し、おためごかしの救いをもたらした連中は、ヴリルと名乗った。
「完全機械化兵を生み出すためのテストベッド。生体材料と機械材料、それと生身の脳の適合性を試すためのデータ取り素材。確かに私はそういうものでしたよ」
 たまたま適合性が高かったために生き残り、たまたま生き残ったから今度はスパイとして使われることになった。
 大戦時は統一帝国に身を置き、亡命後はヤシマ軍に所属し、どちらの者でもありながらどちらの者でもないモノになった。
 何一つ。何一つ望まないもののために、ここに立っている。それでもそうしなければ生き残れないから。
「私の目的は、あなたの拉致だ。あなたが持つ大戦時のある実験データ……ヴリルはそれが欲しいらしい。喉から手が出るほど」
「……貴様はそのデータの正体を知っているのか?」
「純粋天使のクローン実験。そう聞いている」
 しかも、最初の天使のクローン実験のデータだ、と聞いている。
 だからなんだ、というのが正直な気持ちだ。
 ヴリルの目的がなんであれ、私には関係ない。どんな情報であれ奪取しなければならない任務なのだから、唯々諾々とそれをこなすだけだ。
 ただこの瞬間のために生かされていた人形。最後の最後まで役立つことを証明することによって生存を許されていた人間。
 この任務が終われば、自分は処分されるだろう。ヴリルというのは、そういう組織だ。
「不満はないのか?」
 いままさに銃を突きつけられ、いつ殺されてもおかしくない状況にあるヴィヴリオにそう言われ、私は笑うしかなかった。
「不満でないことのほうが少ないですな」
 そんなことはいまさら言われるまでもないことだ。なにがどうひっくり返れば不満がなくなるのかすらわからないこの状況で、いったいどう答えろというのか。
「だがそれでも。私の存在しない明日を一日でも遠ざけるには、これしかなかった」
 生きるということは、それほどに残酷で無慈悲なものだった。
 人間として扱われず、実験の備品として扱われ続け、必要だからと知識と技術を詰め込まれた。
 それでも何一つ望まなかったのだ。自分が生きること、それ以外の何も望まず生きてきたというのに。
 その望みも絶たれようとしている。そんなバカバカしさ。
「抗えばよかろう」
 抗った結果としてそこにいる女が、やんわりと自分を見下していた。
「抗わなかったとでも?」
 抗おうが抗うまいがなにも変わらなかった。今ここにいる現実こそがその証明だ。
「人の魂を弄ぶ権利など誰にもあるまい」
 静かな眼差しで。この人はいつでもそうやって、急所を抉る。
「魂、と来た。なるほど、なるほど、確かにそうかもしれない。天は人の上に人を作らずと言った政治家がいましたな。自由平等思想ですか……しかしそんなものは欺瞞以外の何者でもない。自分たちに不都合な現実から目を逸らすことによって初めて実現する理想郷などくそくらえだ」
「だが、自分の王は自分だけだ」
 ……そう、その通りである。衆愚政治は、自らの愚かさに目を瞑れば、存外うまくいく。いや、どのような政治であれ、己の目を欺き続け、それが理想なのだと現実を直視しないことこそが、理想的な社会の真実だ。
 苦労を厭わぬ人は、残念ながら苦労を厭う人よりは少ない。
 では苦労を厭わぬ人は、なぜ苦労を厭わないのか、という、素朴で単純な疑問の答えが、それだ。
 自らのために自ら成す。言葉では容易いそれの、なんと難しいことか。
「貴様は自分の王になる権利を棄てて生きる権利を選んだ。そして私を殺すのか?」
 拉致することが目的だと言っておきながら、データさえ入手できれば、ヴィヴリオの処遇は一任されている。というよりは、ヴリルはヴィヴリオ本人には興味がないんだろう。
 私が私のささやかな復讐のためにヴィヴリオを殺すだろうことを見越している。そうも思えるが、それに抗いようもなく誘惑を感じる自分がいることも確かだった。
 それは私が自分の王にはなれぬ、ヴリルの人形であることの証明だった。