(19)

 人形を抱きかかえ直しながら、彼女は母親を見上げた。
「お母さん、これからお仕事があるの。ここで待っていてね。ね?」
 彼女は涙を堪えて頷いた。仕事、というものがどういうものかはわかっていなかったが、それが大事なことだということはわかっていた。
「お腹が空いたら、なんでも頼んでいいからね。お金はあとでお母さんが払うから」
 なにも言わずに頷く。涙を堪えるのに必死で、喋る余裕がなかった。
 母親は、訳知り顔に頷いて、彼女の頭を一度撫でて、それじゃあね、と言った。
「いい子で待ってるのよ、マリア」
 そう言い置いて、彼女は出て行った。
 彼女はその部屋で、その場所で、ずっと待っていた。
 お腹が空いても、食事が用意されても、母親が帰ってくるのをずっと待ち続けていた。
 待って、待って、待って。待ち続けて。
 すごく、すごく、すごくお腹が空いて。
 どうしても、どうしても、どうしても我慢できなくて。
 彼女は、フルーツを一切れ、そっと口に含んだ。
 冷たく冷やされていただろうフルーツも、いまでは室温で温められてしまっていて、ちっとも冷たくはなかったけれど、それでもその甘さに、なにもかも忘れてしまうほどうっとりした。
 もう一個。あと一個。あと一つだけ。
 気が付けば、皿に盛られたフルーツをすべて食べてしまっていた。
 彼女が覚えているのはそれだけである。フルーツを食べて、眠くなって、そのまま倒れるように眠った彼女は、二度と自らの意志を取り戻すことはなかった。