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 世界はぼんやりとしたものとして認識されていた。
 過去がない。物心がつく以前の記憶というものがどれだけ残っているものなのか、これは個人差があるらしいが、これがまったくない。八歳になる以前の記憶がまったくなく、八歳の誕生日(と呼ばれている日)に、気がついたら孤児院にいた。
 そこから世界は始まっている。
 何もかもわからない、ということはなかった。日常的な行動、会話、そういったものは普通に出来ていた(と思う)。
 ただ、自分自身に関する過去だけがない。自分がどこの誰で、いままでなにをやっていて、どういう人間で、どういうことを思っていたのか。そういった一切の過去がなかった。
 いまだに自分というものがわからない。
 学校に通うようになって、自分が異質なことを理解した。そこには自分の居場所はなく、居場所がないのは、自分に過去がないからだと思った。そしてそのせいで苛められるんだろうと思ったし、それが原因で苛められるのであれば、それは事実なんだから、仕方がないと思った。
 実際には、孤児院にいるということ、生みの親がいないということが苛めの原因だということを知ったのは、一年ほど経ってからである。
 わけがわからなかった。いまでもそれは強烈に思い出せる。あれこそが、世界が確かなものになった瞬間だった。
 以来、その理不尽には一切の妥協も必要ないのだと考えるようになった。なにしろ、親がいないのは自分の責任ではない。そもそも一緒にいないだけで、存在しないはずがないのだから、そんなものを理由に責められる道理はない。
 ただ、異質なものを排除したいだけ。親がいる自分たちとは違う、親のいない存在が理解できず、恐ろしいものに思えたというだけ。
 自分にとっては、親がいるということが理解できなかった。院長先生は優しかったが、親とは違うものだと思っていた……先生は先生だと。
 過去がない。家族というものがいない。家族というものがわからない。
 そんなわけのわからないものに自分を決められるのは我慢がならなかった。
 理解しようにも、存在しないものは理解できない。自分は孤独なのだと理解して、初めて泣いた。