(27−6)

終結
すごく長くなった。


 目が覚めた。
 まだ生きていた事実に驚いた。
「ようやく起きたか、三年寝太郎め」
 ばっさりと花束を投げつけられた。ぶっちゃけ痛い。見舞いにきた奴の行動とは思えない。
「一週間も寝続けるなんて並大抵の根性じゃないな」
 一週間? そんなに寝ていたのか。
 体のあちこちに違和感を覚えるのは、おそらくそれだけの期間寝たきりだったせいで、筋肉が衰えたからだろう。たかが一週間、されど一週間、筋肉がしぼむには十分な時間だったようだ。
「……なんで生きてるんだ?」
 言った瞬間、はたかれた。
「……いてえ」
「まだそんなこと言ってるのか、絶望したがり小僧は。この瑞穂基地一、いや世界一のスナイパー和音様が助けてやったからに決まってる」
 偉そうに胸を張るが、ちっとも偉そうに見えないのがこいつのいいところだ。
「お前はシューターだろうが。スナイパーは俺だ」
「役割はな。だが気持ちの上では俺はスナイパーだ」
 なにを言ってるのかわからないが、なぜかそれも心地良い。
 そうだ、これが日常というやつだ。真智が死んで、サタンに乗ることを選んで以来、絶えて久しかったものだ。
「……あのシュネルギアはどうなったんだ?」
「さあ? 大佐は頭を抱えてたみたいだけどな。いまんとこまた使うとかいう話は聞かないな」
 あれは、アリカだから。だったから。だから、なんとなく、廃棄とか処分とか、そういう酷いことにはなって欲しくない。
「にしても相変わらず無茶する奴だな。天使化しかけたシュネルギアに乗るなんて、中々やろうと思わないと思うぞ」
「やりたかったわけじゃない。と思う」
「へえ。じゃあなんでまた」
「それしかなかったから、だな。真智が死んで、俺のせいで死んで、俺が守れなくて死んで、だから俺は、力が欲しかった。あれは力だった。あれの力があれば、誰も死なずに済むと思った。だから乗った」
『ヴァンのせいじゃないって言ってるのに』
 その声は、どこから聞こえてきたかというと、首にぶらさげたペンダントからだった。
 ぎくりとして、和音と顔を見合わせる。どうやら奴にも聞こえたらしい。幻聴ではないということか、それともこれが集団幻覚というやつか。
「……真智?」
「……だよな?」
『私、ずーっと声かけてたんだからね』
 にゅるにゅると、としか表現しようのない現れ方で、胸のペンダントから真智が生えてくる。半透明な姿をしているあたり、幽霊とか霊体とか、そういうモノなんだろうけど。
「……服着てやがる」
『ヴァンのスケベっ』
 殴られた。が、その手は通り抜けてしまったので、痛くもなんともない。
「死んでまで俺のことを想ってるとはな。惚れられたもんだな、俺も」
『ヴァンなら死んでも軽口叩いてるよね』
 幽霊に溜め息を吐かれた。勝ったような負けたような複雑な気分だ。
『私が死んだのは、私の責任。別に私が無茶しなくても、ヴァンは死ななかったかもしれない。私が勝手に突っ込んで、勝手に死んだだけかもしれない』
 それは違う、と言ったところで、いまの真智は聞きやしないだろう。それは後悔からの言葉ではなく、満足している者の言葉だった。
『ごめんね』
 真智にそう言われ、頭を撫でられて、その手の感触なんてまるでないのに、その優しさを強く感じる。
『先に死んじゃってごめん。勝手に死んじゃってごめん。私、ヴァンと生きるつもりだったのに、そう言ってたのに、死んじゃって、ごめん』
 そんな謝罪の言葉なんて、ない。そんな謝り方なんて、ない。
『……辛い思いさせちゃって、ごめん』
 はたから聞けば、自惚れにしか聞こえないような言葉。俺が、当たり前のように真智に惚れているからこその、言葉。
 涙が零れる。失ったものの大きさに、いまここにあるものの大切さに、なにを間違っていたとしても、なにも間違っていなかったとは思わないけど、一番大事なことだけは間違っていなかったと思えた。
 自分は何を願っていたんだろうか、と思う。
「ああそうだよ! お前なんかに庇ってもらわなくたってなんとかなったさ! 何があろうと、俺がお前を助けるんだって、そう約束したじゃないか!」
 シャルロッテを死なせた俺には、それしかないのだと思っていた。
「俺に守らせろよ! 俺に救わせろよ! 俺にだって誰かを助けられるんだって、信じさせてくれよ!!」
 それがどれほど幼稚な言葉であるかは、他の誰でもなく自分が理解していた。誰かを助けるのに、誰かを助けたいと思っているのに、助けたい相手のことなんてどうでもよくて、自分勝手に助けさせて欲しいなんて、呆れてものも言えない。
『助けたいのはね、助けられたいからなんだよ』
 怒るでもなく、嗜めるでもなく。
『救いたいのは、救われたいから。誰かを救って、自分も救われることが出来るんだって思いたいから』
 そう、きっとそうなんだ。俺はずっと救われたくて、でも何からどうやって救われたいのかわからなくて、ただ救われたくて、ただ救いたかった。
 誰も救えるはずがない。誰かを救える道理なんて、ない。
『私が許してあげる。私が認めてあげる。ヴァンは、ヴァンだよ』
 俺は、俺。どこまでいっても付きまとう、過去がないという事実こそが、何よりも確かに、俺を揺るがす。
『なにがあっても、なにが起こっても、ヴァンは、ヴァン。それだけのことだよ』
 大した理由などなくて。
 大した根拠もなくて。
 それはただの言葉でしかなくて。
 それでも、それなのに、だから、きっと。
 俺が涙を零すのは、俺がいま泣いているのは、それは真智のためでもなんでもなくて、心底哀れで救いようのない自分のため。
『私の好きなヴァンは、いつだって誰かのために一生懸命で、どうでもいいぐらい真面目で、心底諦めが悪くて、ちょっと根性も悪いけど、でも、私を助けてくれたヴァンだよ』
 俺は、君を助けられたのだろうか。
 俺は、君を救えたのだろうか。
 いつまでも、どこまでも付きまとうそれが、俺を苛む。
 俺は許されないんじゃないかと。
 俺は救われないんじゃないかと。
 こんなにも救われたいのに、こんなにも許されたいのに、こんなにも愛されたいのに、俺は誰一人救えず、許せず、愛せないのなら、俺はやはり、それを享受することは出来ないんだろうと。
 私はあなたを愛していますか?
 私はあなたを愛せていますか?
 確信などなく、あるはずもなく、だからこそ惑い、迷う。
『ヴァンは私のこと好きって言ってくれた。いつでも、どこでも、私が迷う度に、好きって言ってくれた。……ヴァンはずっと言って欲しかったんだよね。私は、あなたのことが好きです、って。……愛してます、って』
 無条件に与えられるそれが欲しかった。なんの見返りもなく与えられるそれが欲しかった。
 俺を俺だと認めてくれる、ただ一言が欲しかった。
 自分が愛されていたのかどうかは覚えていない。自分を愛してくれたかもしれない親の存在自体知らない。
 だから、ずっと不安で。
 だからずっと、信じていなかった。
 人は、誰かを愛することなんて、ない。
『ねえ、ヴァン』
 真智の手が頬に添えられる。感触などなにもない。冷たいとすら感じない。空気すら揺るがない。そこにはなにもない。
『好きって言って?』
「……好きだ」
『愛してるって言って?』
「愛してる。……真智、お前を、愛してる」
『私もだよ、ヴァン』
 真智はそう言って微笑んで、俺を抱きしめるようにして、消えてしまった。
 呆気なく。あまりにも呆気なく、消えてしまった。
 病室に男が二人、間抜けな面を晒している。なんて滑稽なんだろう。
「……愛してるよ、真智。いままでも、これからも」
 それでも、この胸に、この心に、真智はいる。
 これは、この想いは、きっと変わらない。死ぬまで、死んでも、例え天使になったところで、この想いが俺を俺にし続ける。
 証明はされ尽くしてしまった。迷うことなど何一つなく、空気が透明になったように思えた。
「傍で見てるとこっぱずかしいわけだが」
 なぜか和音が顔を赤くしている。
「ふん。いつもはお前のノロケを見せられてるんだ、たまには俺と真智のラヴを見たってばちはあたんねえよ」
ノロケ!? 俺がいつどこで誰と!?」
「カグヤといるときはいつでもどこでも」
「バカな! クールなスナイパー希凪和音様がそんな!」
「ラヴスナイパーの間違いだろ。年上ばっかり引っ掛けやがって」
「いや、断固として違う! 否定すればするほどどつぼにはまってる気はするが、だがそれは違う!」
「じゃあなんなんだ?」
「……いや、まあ、その、なんだ、今日はいい天気だな」
「まったくだ」
 視線を外して窓の外を見やる和音に生返事を返して、溜め息を吐く。
 まったく、望もうが望むまいが、自分は望むものの中にいるじゃないか。
「……たまには出てきてくれよな。兎は寂しいと死んじまうんだぞ」
 胸に手を当てて、そんなことを言ってみる。
 それが真智の答えなのか、心臓の鼓動が一つ、大きく跳ねた。兎なんて柄じゃないくせに、という悪態が聞こえた気がした。
 そうだとも。真智、お前は正しい。俺は兎なんて柄じゃないし、寂しくたって死ねやしない。簡単にだって死にはしない。
 生きるということ、生かされているということ、その責任を果たすまで、死んでなんていられない。
「ま、さっさと元気になってくれよな。欠員出てると大変なんだわ、わりと」
「元から俺はローテーションからは欠番だろう?」
「バカ言うな。出向扱いで外されてるだけだ。復帰したらいままで以上にローテ組んでやるから覚悟しろ」
「お前が決めんのかよ、それ」
「決めるのはアクシア大尉だが」
「なんだそりゃ」
「とにかくそういうことだ」
 さっさと元気になれ、ということか。
 落ち込む暇すらないとは、なんとも戦争らしい話じゃないか。
「んじゃ俺は帰るぜ」
「おう。ありがとよ。もう来なくていいぞ」
「……ヴァン、言葉はもうちょっと選んだほうがいいと思うぞ」
「知るかよ。これが俺だ」
「まったくだ。じゃあ、またな」
「おう。またな」
 軽く手を上げて挨拶する。
 さて、捨てたはずの命は拾った。
 元からないものだと思っていたが、せっかくあるんだ、少しは惜しんでもかまわないだろうか。
 せいぜい、俺は俺らしく生きるとしよう。
 生き汚く生き延びて、自分勝手に誰かを助けよう。
 俺にはそれが出来る。俺はそれを望んでいる。
 自由に生きるって、そういうことなんだろ?