(28−2)


「はあ? よくわかんねえな。なんで死ぬんだ?」
「ちょっ、ヴァンっ!!」
「なんだよ。真智にはわかんのか? 俺には全然わかんねえ」
 真智が慌てる気持ちはわかるが、慌てる意味はよくわからない。慌てたところでどうなる話でもないし、こういう話は遠回り聞かれたり……つまり露骨に気を使われたりすると、それはそれで嫌な気分になる話だ。
 だったら最初から単刀直入に聞いたほうが、同じ嫌われるにしても手間が省ける分、マシである。大体が聞かれたいがためにそんな話題を振るのだから。
「天使化、というのは、肉体にエーテルが蓄積されて、天界の門と呼ばれるものが"開く"ことで起こる現象、というのはいいかしら?」
「そんぐらいはな。基礎知識だろ」
「そうね。エーテルは空間を歪めて異界からエネルギー……この場合、エーテルそのもののことね……を引き出すことによって使用可能になるの。どうやって空間を歪めるのか、となると、天使核の力によって、となるんだけど……それがどういった原理で空間を歪めてるのかは、正直まだわかってない部分も多いわ」
「まるで学校の座学みてえな話だな」
 耳の穴をほじりながら、やる気なく答える。そんなめんどくさい理屈など、正直どうでもいいんだが、新城繭……入院しているギアドライバーは、委細構わず、とりあえず喋りたいらしい。
「そうかもしれないわね。一説によると、天使核の原型……天使の血だとか言われてるけど……は、遠い昔にこちら側に召喚した人がいただとか、もともとはこちらの世界にいたのがある時にあちら側にいっただとか、諸説紛々だけど、いわゆる"天使的なもの"が異なる二つの世界を重ねることが出来る存在で、その結果として空間が歪む……"天界を引き寄せる"ことになるとも言われているわ」
「それとあんたが死に掛けてるのとなんの関係があるんだ?」
「呆れるほど率直ね」
エーテルについては理屈の話だが、あんたが死ぬのはそういう次元の話じゃねえだろ? 日常の話だ。俺としては、はっきりしねえ机上の話よりは、いま目の前にある現実の話をするほうが現実的だと思うぜ」
 なにが楽しいのか、この女は微笑を絶やさないでいる。まさか自分と喋っていてそれが楽しい、なんてことはないだろう。だとすれば、こいつは単純に会話に餓えていたということだろうか。話し相手はいなさそうな環境だ。
「先祖帰りってわかるかしら?」
「遺伝形質は隔世で発現することが多いらしいな」
「それをもっとすごくしたようなのになるのだけど、私の遠い祖先が天使のような原種に近い存在だったらしくて、私の代でそれが隔世してこのザマ、ってことらしいの」
「えーとなんだ……向こう側に近いって部分か?」
「そう。生きてるだけで天界の門を開きかけてるような状態らしいわ」
 けったいな話だ。ギアドライバーやらナビゲーターやらいうのは、多かれ少なかれそのぐらいの素質を持っているはずだから、新城繭というのはその中でもさらに桁外れな能力の持ち主と言えるだろう。
 こんなところに隔離されてエーテル除去を受けなければ、すぐにでも天使化してしまうというのだから。
「それで、重度のエーテル中毒か」
「そうなるわね。絶えずエーテルに晒されれば、誰でも天使化してしまうもの。私が耐えられているのは、この環境……設備に拠るところも大きいけれど、エーテル耐性それ自体が優れているかららしいわ」
「自分のことなのに、らしい、か」
「残念ながら専門家ではないから。独学で勉強はしていても、所詮は付け焼刃ね。細かな理論までは理解しきれないから」
「それでも、その程度には自分のことを知りたいってわけだ?」
「ええ。あなたも同類でしょう? 自分がどこで生まれたどんな存在なのか……気にならないわけがないわよね」
 確かに授業とは関係のない遺伝学の知識があるのは、自分がどこの誰なのかを知りたかったからだ。国は黒い天使核の所有者を見つけ出すためにヘルプストハイムチェックを義務化したが、その本来の目的は国民のすべての遺伝子を標本化するところにあるという噂がある。その標本箱を探せば、自分と遺伝子的に近い人間がいるのかどうかがわかるのでは、と考えたことがある。
 しかし結局のところ、それがわかったところでなにが変わるわけでもない。肉親が見つかったからといって、いまさらそんなものに頼る気はないのだから、いてもいなくてもそう大きく変わりはしないのだ。
 だから、その線は綺麗さっぱり諦めた。
 大事なのはそんなものではなく、目の前の現実である。それがわかったところで、失ったものを取り戻せるわけではないのだから。
「まあ、大体わかった」
「え、わかったんだ?」
 真智が素で驚いている。
「言いたいことはわかったさ。生まれつき、死にやすいってことだろ?」
「要約すると、そうなるわね」
「それぐらいなら私でもわかるよ……」
「細かい話に興味はねえって言っただろ? まあ、なんだ。俺が言う義理じゃねえが、がんばんな」
「……怖い人ね」
 繭は微笑みを崩さぬまま、目をすっと細めた。猛禽の目つきというやつである。陰のある美少女なだけに、こう違和感なく凄まれると迫力がある。
「生憎と、わかっちまうもんでね」
 その程度のものに飲まれたりはしない。脅しというのは、飲まれたら負けだ。
「え、わかるって、なにが??」
「つまんねえことさ。こいつがなにをしようが関係のない俺にしてみれば、まったくもってどうでもいいことだ」
「冷たい言い方ね」
 嘆息してみせる。本心で思っていないこともそう演じてみせることができるんだから、大した役者だ。これで何人が騙されてきたんだろうか。
「歯に絹を着せる趣味はねえよ」
「コミュニケーションは趣味ではないんじゃないかしら」
「大差ねえさ。どう生きてどう死ぬかだ」
「それもそうね。……あなた、面白いわね」
「初めて言われたよ、そんなこたあ」
 表面上の騙し合い。腹の底の探り合い。
 こいつはそんなものにすら餓えている。自分と正面切って向き合う奴がいるだけで満足している。
 なんてやつだ。これじゃあどうやっても負けはない。
「まあ、お大事に。見舞いに来た義理だ、邪魔だけはしねえよ」
 そもそも邪魔のしようもないのだが。
「私もそう願っているわ」
 目元のまったく笑っていない笑みを浮かべて、繭はそんなことがあるわけがないと言わずに言ってみせた。
 よくわかっている。俺が本心からそう思っていたとしても、そんなものとは関係なく、やらなければならないことというのは発生するものだ。
「なに喋ってるんだか全然わからない……」
 置いてきぼりの真智が、寂しげに俯いていた。