(27−7)


 あなたが私を愛しているなら、どうか私を殺してください。
「こっちだ」
 スパイに先導されて、迷路のような基地を歩く。走ったほうがいいのではないかとも思うが、人間は大きな音を立てず走るようなことはあまり得意ではないから仕方がないだろう。
「あんたがスパイだったなんてね」
 ヒルトの皮肉を背中に受けても、その男は小揺るぎもしなかった。
「人質が取られているものでね」
 人質? 統一帝国特殊情報部所属の人間の人質など、どこをどう探せば見つかるというのか。そもそもこいつには家族も身寄りすらもなく、あるのは仕事だけというような無味乾燥な男だったはずだ。
「詳しく説明する気はないが、私は君たちの味方をせざるをえない状況だ、というだけのことだ」
「ふーん。そんなんでこれだけのリスク犯せるんだ?」
「誰にだって大切なものぐらいあるだろう。自分の命より大切なものも」
「……あーそーね。野暮なこと言ったわね」
 ちらりとヒルトに振り返られたが、どう返していいものかわからず、仏頂面で応える。
 この男の事情も、ヒルトの気持ちも、実際のところ、どうでもいい。自分はようやく望みを叶えられるチャンスを与えられたのだから。
 この基地には大佐が匿われているという。瑞穂基地を追い出されてどこに逃げ込んだのかと思えば、すぐ隣の海軍基地にいたというのだからその神経の太さには恐れ入る。
 他に逃げ場がなかっただけなのかもしれないが。
「私の上司は、シュネルギアを邪魔に思っている、というのもあるがな」
 独り言のように、決定的で重大な機密を呟く。
「ああなに? もしかしてあんた、いやあんたら、完全機械化兵推進派?」
「わかりやすく派閥分けするならそうなるだろう。シュネルギア反対派というほど積極的ではないが、機会があるなら便乗する程度には疎ましく思っている」
 だから自分たちの手助けをする、ということか。しかしクーデター派にしても、完全機械化兵を多く擁してはいるが、シュネルギアを撤廃させようとしているわけではない。事実、首魁はギアドライバーだ。撤廃などありえるはずもない。
 しかしクーデター派のそういった状況は、逆にいまの説明に裏づけを与えることになる。
「貴様らが仕組んだのか。このクーデターを」
 自分から歩みを止めることはしなかった。しかし前を歩く男は、足を止めて振り返った。
「その質問には答えられない。私はそれには関わっていない。だが、俺はそうだろうと思っている」
 なぜクーデターが成立したのか、というのが一番の疑問だった。この鎖国という情勢下において、情報というものはなによりも重要であり、また、なによりも漏れやすいものでもある。不確定要素が前提レベルで少ない状況なのだから、誰がなにをしたところで、それは容易く周囲に伝播する。
 田舎の連中の結束と同じことだ。誰がなにをやっても周りにはそれがなんだかわかってしまうからこそ、結束しなければ生きてはいけない。身内になることによって看過される権利を得なければなにもできない。
「こんなバカげたことをしてまで得られるものはなんなんだ?」
 完全機械化兵推進派の論旨は、シュネルギアのような非効率な兵器よりも、完全機械化兵のような実績もある効率のいい兵器に資源を集約したほうが、戦争にも勝てる、というものだ。
 だが、そのためにクーデターを起こすのでは、土台が揺らぐ。そんなことをしている余裕は、この国の現状には存在しない。
「生贄だ」
 回答は簡潔だった。
 そして、そのバカげた理由こそが、なによりも納得のいく回答だとわかった。
「貴様らは僕たちを死なせるために認めたのか」
「はぁ?」
 ヒルトが顔をしかめる。
「『平和ボケしている連中には目覚ましが必要だ』と考えている連中がいる。そいつらが作戦の中枢を立案し、実行し、成立した。今回のクーデターの本質はそれだ」
「茶番劇か」
「茶番だというなら、この国の置かれた状況自体が茶番じゃないのか?」
 それについては答えようがなかった。
「そこに我々を利するものがあったから尻馬に乗ったというだけの話だ。クーデターそれ自体が目的だったわけではない」
「それの帰着するところを誤らなければ、か」
「そうだ。そのために動いている」
 結局はそういうことか。誰かがなにかのために動いていたとしても、その裏には別の人間の意図がある。その人間の意図の裏にもまた別の誰かがいて、それは果てしなく連結されていく。
 バタフライ効果と同じことだろう。初期条件がなんであれ、それと結果が必ずしも一致するわけではない。
ヴィヴリオが死ぬなら、クーデターでもなんでもやっちゃってくれたほうが都合がいいってこと?」
「身も蓋もなく言えばそういうことだ」
「ダッサ」
 ヒルトが肩をすくめる。
「一人殺すのに百人殺すなんて、あんたららしいとは思うけどね」
 不自然ではないヴィヴリオの死を望んだからこその展開だというなら、なんとも悠長な、かつ壮大な計画である。それでいて陳腐だ。その計画には芯がない。
 クーデター派にしてみれば、ヴィヴリオの生死などどうでもいいことだ。
「もうすぐ着くぞ」
 黙れ、ということだろう。一番肝心なことには答えなかったが、それが答えだともいえた。
 自分が大佐を殺しに来たことは折り込み済みだったわけだ。それはなんともまあ……期待されたものである。
 それが出来ねばこの身に意味はなく、それが出来ねばこの意志に価値はない。
 利用されていようがいまいが、それは変わらない。ならばこちらが利用してやるだけのことだ。