(27−12)


 なぜそうなったのか、という1点について、自分は何一つ明確な答えを持っていなかった。
 なるべくしてなったのだ、と、あとになればそう思ったにしろ、なぜそうなることを防げなかったのか、と考えてみても、何一つ答えが思い浮かばない。
 それが自分の望みなのだと、自分を騙すことも出来なかった。現状をあるがままに受け入れるはずの自分は、それでいて、何一つ受け入れることは出来ていなかったのだと思い知らされただけだった。
「……なぜだ、ヒルト」
 大佐の、執務室。結局元の鞘に納まった自分は、厚顔無恥に大佐付の護衛官をやっている。それに対して、当然ながら内部からの反発、突き上げもあったと思うが、大佐はなにも答えず、それらを黙殺した。
 自分をそこまでして抱える理由はないはずだ。大佐の立場を考えれば、自分のような不穏分子は率先して抹殺するべきで、本来大佐というのはそういう人で、だからのこのこと帰参した自分は、大佐のその手で裁かれるために戻ったと言っても過言ではない。
 それなのに、これだ。ふらりとやってきて大佐に銃を向けたヒルトを取り押さえている自分。
 大佐を殺したいと思っていたのは自分のはずなのに。
「なぜだもなにもないじゃないの! わかりなさいよバカ!!」
 ヒルトが泣いている。……泣いていると思う。悔し涙ならわかるが、ヒルトがそこまで大佐を殺したかったとは思えない。本気で暗殺する気なら、他にいくらでもスマートな方法があったはずなのに、白昼堂々乗り込んできて取り押さえられているのでは、意味がわからない。
「あんたは結局大佐大佐って尻尾振るばっかりじゃないの! 私はね、あんたがそうしたいって言うからクーデターだって乗ったし、あのガキがあんたを好き勝手してたのも我慢してたの! もううんざりよ! 私にいつまで待てって言うのよ! 私がそんなに我慢強いとでも思ってるわけ!?」
 言っていることはわかる。言いたいことが理解できない。だとしても、だとしたら、なぜ大佐を殺そうとする必要がある。
「あんたにとって私なんてどうでもいいんじゃないの!? なにやったってどんだけやったって認めてくれないなら、死んだほうがマシよ!!」
 神室を殺してから、疎遠になっていたというのはあった。クーデター最後の出撃にもヒルトは出なかったし、それを強制する理由は自分にはないと思っていた。
 ヒルトにはヒルトの考えがあると、そう思っていた。自分が気に入らなければ愛想を尽かすだろうし、愛想を尽かされても仕方がないのが自分だし、それならきっと、ヒルトは自分を殺しに来るだろうと思っていたから、むしろそれはそれで心待ちにすらしていた。
「神室が死んで、あんたが殺して、わけわかんなくて! あんたは言わないけど、あんただって神室を可愛がってたんだから、なにか事情があったんだろうとか、私を助けるためだったとか自惚れてみたりしたけど! だからって、私がね、私がいくら不良品だからって、神室を殺したとか、あんたが気に入らなくなったからって、あんたのことまで殺せるなんて思わないでよ!」
 それ、は。それは。それは、一体、なんなのだろう。
 自分を殺したいほど憎んでいると、そう言っているように聞こえる。それなのに、それと同じぐらい強い気持ちで、自分を否定したくないと言っているように聞こえる。
 好き、とか、嫌い、とか。機械人形である自分たちが、なぜそんなことを言わなければならないのか、そんな感情を持たなければならないのか、まるで理解できないというのに、それでもヒルトは、自分のことが好きだから憎くて、自分のことが好きだから憎めないと、そう言っているように聞こえた。
「だから……大佐を狙ったのか」
「他に殺したい奴がいるわけないじゃない!」
 つまりは、最後の手段だったわけだ。自分がクーデターに参加したのと同じ動機だ。そうしなければ自分がどうにかなってしまいそうだったから、そうした。自分よりもずっと素直に、真っ直ぐに、まさしく兵器らしく、ヒルトはそれを実行したに過ぎない。
 結果などどうでもよかった。ただ楽になりたかった。
 これはたぶん、そういうことなのだ。
「結局あんたはたそこのガキ女庇って! そんなにそのガキ女が大事なら、さっさと私を殺しなさいよ!」
 殺したかった。それでもダメなら、殺されたかった。こんなシチュエーションでヒルトが飛び込んできたのは、たぶん、そういうことだ。
「僕、は。……僕、は……」
 答える言葉がない。ヒルトの気持ちに、応える言葉がない。
 わからないんだ。何かを大事に思うとか、そういう気持ちが。
 自分は大佐のことだって大事にしているわけじゃない。ただ守らなきゃと思う。この人をなくしたら、自分は壊れてしまいそうな気がするから、だから守らなきゃと思う。
 この人が悲しむ姿は、――が悲しんでいる姿に見えてしまって、だから僕は。
「答えてやらないのか?」
 ヒルトが現れても構わず書類を決裁していた大佐が、初めてその手を止めた。
「お前たちは結局、同じものを求めていただけだろう。なぜ答えない? お前には答えがわかっているはずだろう?」
 大佐はその席から動かない。動こうとすらしない。ただいつも通りの冷徹な目で、自分たちを見下ろしている。
 目。その目だ。
「あの牢獄で死にたくないと願ったのは誰だ?」
 僕はそんなことは望まなかった。
「あの牢獄で朽ち果てることはできないと願ったのは誰だ?」
 僕はそんなことは願わなかった。
「なぜ、死ななかった。親殺しをしてまで、なにを得ようとした?」
 違う。違うんです。――を殺したのは、そんな。
「お前もヒルトも同じだ。子供が親に盾突くのは、幼年期からの離脱の過程にすぎない。お前たちは兵器であり、その手に銃があった。そのために親殺しが実現可能だった」
 そして僕は――を殺したと?
 では。
「殺そうが殺すまいが同じことだ。そうしてお前たちは、独立した人格を手に入れた」
 僕は――を殺した時から人間だったと、あなたはそう言うのですか。
「庇護してくれるものを失って、心細いのもわからんでもないが……私の立場で言えることは、『甘えるな』ということだ」
 そして大佐は、また一切の興味を失ったように書類に視線を落とした。
 抵抗をやめて大人しくなったヒルトをどうすればいいのかわからず、動けなくなってしまった。
 もうヒルトは大佐を狙いはしないだろう。ヒルトにとって、そんなことはどうでもいいことだったのだ。僕が――を殺したのだって、殺したくて殺したわけではなかったんだから。
 殺意を抱いた時、殺害を実行できる道具がこの手にあった……そもそも、この身自体が、殺害を実行できる道具だった。
 だから、これは、自分たちが兵器だったからこその結末だ。自分たちが殺害の道具でさえなければ、こんなことにはならなかった。
 自分もヒルトも、壊れていたのは、人間を殺してはいけないという制御コードが、ろくに動かなかったという点だけで、それ以外はなにもかも人間として正しく動作していたことになる。
 でも、それは。
 大佐は溜め息を吐いて立ち上がった。
「兵器に生体脳を使うのには、私は最後まで反対した。それがどういった結果になるか、考えるまでもなくわかっていたからだ」
 そもそも私こそが、クローンとして生み出されたのだから、と言って、大佐はヒルトの手から拳銃を奪い、胸糞悪そうにしかめ面をしてみせて、それを懐に収めた。
「クローンだなんだと特別扱いするのはおかしなことだ。人間と同等の生理的機能を持つのであれば、それが人間であるか兵器であるかなど、区別することも出来なくなるのは自明すぎるほどに自明のことだ。それを思考制御だのなんだので解決できると技術部は考えただろう……だが、人とはそんなに弱いものではないと、私は確信していた」
 僕を押し退けて、ヒルトを抱き上げるように体を起こさせて、大佐は優しく、その身を抱いた。
 ヒルトの驚いた表情がなんだか間抜けで、笑うべき場面ではないのはわかっていてもおかしかった。
「無理をする必要はない。人は、人だ。どう生まれようとも、その業は変えられない。受け入れるか、拒絶するかは自由だ……だが、受け入れられないからといって、無理に否定する必要は、ない」
 優しく、ヒルトの背中を撫でている。
 そうしてようやく、自分は大佐の中になにを見出していたのか、それを思い知らされた。
 この人は、――とは違う。――は、父親だった。この人は。
 この人は、僕たちの母親だったんだ。
「お前たちは壊れてなどいないよ。私が保証しよう。お前たちは正しく人間だ。たとえその身が鋼で作られていようとも、その心は人間だ」
 ヒルトが、反発しようとして表情を歪め、感情を維持しきれずに、顔をくしゃくしゃにして泣き出す。
 僕も泣きたかった。こんなにすっきりとした気分で泣きたいと思ったのは初めてのことだった。
 他にどうすることも出来なくて、ヒルトを抱きかかえる大佐を背後から抱き締めた。その背に顔を埋め、自分が望んでいたものを、ようやく手に入れたと思った。