1日を24時間で区切る

戯言です。
認識上の話として、通常、1日を24時間で区切って生活してます。
でも、例えば23:59から0:00になったときに、なにかが変わるわけではありません。人によっては24:00になるし、0:00になるというような違いすらありますが、それは物理的変化ではなく、主観的変化です。これが25:00だろうと1:00だろうと同じことです。
で。セッションというものは、どういう単位で区切っているんでしょうか?
シーン制のTRPGであれば、1シーンでしょうか? それとも、エンゼルギアであれば、オープニング、ミドル、クライマックス、エンディングというようなフェイズでしょうか? それともあるいは、1つのシナリオ、つまり1セッション単位でしょうか? あるいは、キャンペーンであるなら、キャンペーンとして設定されている複数のシナリオでしょうか?
これは能力というか、流儀というか、「そういうやり方」いわゆる「慣習」として個人に根付いている話だと思うんですが、ストーリーというものを考えた場合、セッション参加者が理解できる、あるいは理解しやすいのは、「シーン単位」のストーリーだと思います。当然、「シナリオ(セッション)単位」でストーリーを理解できないと、ストーリーの全体を追うということはできません。でも、誰でも「シナリオ単位」でストーリーを追うことが出来るんでしょうか? あるいは、追おうとしているんでしょうか?
思うに、ストーリーを読むのが苦手な人というのは、セッションの単位をシーンごとで区切っているから、前後の関連性が薄れて、「シナリオ単位」でのストーリーを理解できない、あるいは把握できない、もっと言えば「理解する気も把握する気もない(意図的ではない場合もあるにしろ)」状態になるんじゃないでしょうか。
個人の能力としてそういった制約があるのか、そういうやりかたをしているからという慣習がそうさせているのか、そういった要因は様々だと思いますが、「ストーリーが理解できない=先読みができない」というのは、「ストーリーというものを区切る単位」の問題なんじゃないのかなあ、と思ったり。