リアリティ

ネットの海で徘徊老人、じゃなかった、ネットの海を彷徨っていたところ、「TRPGにおけるリアリティとは?」みたいな話題があったので便乗。
「リアリティはフレーバーです」というのが、たぶん最大公約数な解答になるんじゃないかなと思います。
で、フレーバーと言い切ると逆に、どこまでやってもいいし、なんもやんなくていいし、「結局抽象的にするだけだよね」とも思います。だからこそ最大公約数になりえるんですけども。
リアリティというのは結局、「当たり前のことを、当たり前にやってください」ということなんだと思います。そこには各人各様のリアリティがあり、個人間の齟齬があり、ギャップがある。
そういう齟齬とかギャップとかを無視して「リアリティなんかいらない」と大上段で切り捨てちゃうのは、逆にコミュニケーションの機会損失に思えます。それはもったいないんじゃないでしょうか。


私は「リアリティ」という言葉に仮託されているのは、この言葉を出しただけで方々から突っ込みが入る「常識」というものなんだと思ってます。北海道民のリアリティ*1、神奈川県民のリアリティ*2宮城県民のリアリティ*3、全部違う「リアリティ」だと思います。「県民性」と言ってもいいかもしれません。
たぶん、そうした「出身地域による日常用語等の差異」いわゆる「方言」とかについては、違和感はあったとしてもそれをおかしいと言い出す人はいないと思います。だって生まれ育った地方ではそういう言葉が「日本語」なんですから。方言とか意識して育ったところで、「地方言葉」がなくなるわけじゃありません。
で、「関西弁で喋る関西出身者*4」はおかしいでしょうか? あるいは「リアリティがない」でしょうか?
私としては、そこで「関西弁を喋るなんてリアリティがない」なんて考えはよくわかりません。でも、TRPGで「リアリティはいらない」と言っているのは、「関西出身者が関西弁を喋るなんてリアリティがない」と言ってるのと同じように聞こえます。
「リアリティ」=「常識」=「出身地域による日常用語」の三段論法が受け入れられない人は前提で噛み合わないと思うので気にしないでください。私としても、この程度の説明で誰にでも受け入れられるとは思ってません。比喩ってそんなもんだと思います。多少はわかりやすくなっても、そのままでわかるようなもんじゃないでしょう。
「リアリティ」という言葉によって、全員が同じことを表現しようとしているとは、私は思いません。「私はリアリティにこだわりがあります」という説明を聞いて、相手がなにを言わんと欲しているかを理解することはできないと思います。
結果的にそりの合わないリアリティがそこにあったとしても、それはそれでいいんじゃないでしょうか。そういう摺り合わせも含めてTRPGなんじゃないかな、と考えるのは私の環境が特殊だからでしょうか。


私はリアリティがあったほうがいいと思います。だって「飛行機で刀を振り回して敵をぶった切る」って、敵を切った瞬間に物凄い反作用があるよね? 機体の運動エネルギー食われるよね? それって飛行機落ちないの? という世界観のエンゼルギアで遊んでますから。嘘理論でもいいから説明をつけて、釈然としない思いを抱えたまま遊びたくはないなあ、と思います。
私にとってのリアリティは、その程度のものです。

*1:出身地なので

*2:住んでたことがあるんで

*3:住んでるんで

*4:わかりやすそうな例としてピックアップしてます