でもそのスタンスは

なんか続いてますが、前記事(セッションについて(10)に関する疑問 - TRPG履歴)を見てからどうぞ。


「キャンペーンにおいて背景情報を提供することによりPLの自由度を確保する」手法というのは、実は主催がやってる「正史」シリーズ(というかキャンペーン?)と、根本では同じことをやっているように思う。
でも主観的には全然違うことをやってると思ってる。客観的には同じかもしれないなーと思う。
ではその差はどこから来るんだろうか? と主観的な部分を見直してみた。


主催のスタンスは、「背景情報にシナリオギミックを仕込む」ことによって、「シナリオ中のサプライズ」を用意している。なので、「サプライズ要素」を公開すると、「シナリオギミックが事前に暴露される」ことになるため、面白みが減じるという構造を持っている。というか構造的にシナリオギミックを用意するのが好きなマスタリングスタイルである以上、そうならざるをえない、というのもあるんだろうけども。
そうなると「公開されない背景情報」が出てくるため、他の人のシナリオレベルでの参入障壁となっている。「やりたいけど背景情報矛盾したらヤだし」という気持ちのほうが先に働いてくる=結果として提供されるものを受け取るしかない、という感じか。


自分のスタンスは、「その時点で確定している背景情報を全部出す」ようにしている。半確定とか、考えてるだけなことは、あんまり出さない。将来的にどうしようとしてるかとかも、あんまり考えてないので出さない。というか、考えてないので出せない。ないから。
たぶんここにすれ違いがあるように思う。客観的には、「情報があるけど出てない」んだと思われてると思う。主催のスタンスと同じに見えるんじゃないだろうか。少なくとも、私のやり方をしている人が他にいれば、私もそう思ったと思う。
でも私はあんまりそんな先のことまで考えてキャンペーンを構築してないし、構築するような能力もないので、「まあこんな感じの状況やねん今。ほしたらあんさんどう動く?」と、常に問いかけというか、「将来への展望」を吸い上げようと思っている。
んだけど、「将来への展望」はあんまり出てこないので、勢い、萎んでくる。萎まないために、「じゃあこっちで将来への展望も作るしかあらへんなあ」となって、続きを作るようになる。で、エネルギーが枯渇してきて、やる気が減退し始める。というのがいまの状況か。


主催のスタンスも、自分のスタンスも、はたから見れば同じだろうと思う。悲しいかな、その自覚がある。
なので、ここで明言することにする。
「出してない情報がないこともないけど、それは半確定程度の"妄想レベル"の考えであり、情報なので、PL側から希望や要望が出てくれば、それを積極的に吸い上げることはいつでも可能です」
ただし、私が主観的に「そんなふざけてるのはいらん」という希望は問答無用で却下します。そこまで自分を捨てる気はありません。最低限、私色は残しますが、そこに他の人の色が入ってくるのを拒む気はない、ということです。
もちろん、「ふざけてるから」という理由では却下しません。「悪ふざけ」が重要な楽しみの要素であることも意識しています。その「悪ふざけ」をどのようなイメージでもって組み込もうとしているのか、「ただ思いついたから」組み込もうとしているなら、どうすれば「それを楽しい要素として組み込むことができるのか」を、話し合ったりして考えていければと思います。


「PLがネタを出す」→「GMがそれを採用する」という、一方的な関係は望んでません。
それは、「GMがネタを出す」→「PLがそれを消費する」という構造と同じだからです。
「提供者」がGMであれPLであれ、「提供者」と「消費者」という関係ではなく、「提供者」と「提供者」としての関係を、キャンペーンに参加する全員で構築できればと思います。
それは、以前から提言している通り、「ネタを出す」ということに限らず、「それぞれの提供者がそれぞれに提供できるものを"まず"提供する」ということから始まる、「共同感の構築」を期待しているからです。