(29−3)


 雌伏の二年間を過ごした。
 学習にも訓練にも、それまでより意欲的に取り組むようになった。
 彼女の死が自分を変えたのは間違いないだろう。自分は実験動物だ。実験動物は実験動物らしく、実験に役立つように振る舞い、実験者の歓心を買わねば生き残ることもままならない。そう悟った。
 しかしそれが、反逆の萌芽となったことに気づいた者はいなかった。自分は実験動物だ。言われるがままに実験に従う、自由意志のない奴隷だ。それはいい。そんなことはどうでもいい。そうしたものとして生きてきたのだから、それに不満なんて覚えようがない。
 では彼女はどうだったのか。彼女は実験動物ではない。途中から観察対象になっていたのだとしても、そうした役割を持って生まれ、そうした役割を担って生きていたわけではない。
 押し付けられた役割に従わなかったから死んだ。それが真であるのなら、自分が例え実験動物として生きたとしても、結局は死ぬことは避けられないということだ。寿命でもなんでもなく、研究者の恣意というものに左右されて。
 今まではそれがなんなのか、理解できなかった。知識だけはあったが、それを活用することをしてこなかった。優れた奴隷を生み出すということは、即ち反抗者を生み出すということなのである。想像力こそがすべての原動力だ。
 この研究所の連中は、自分を優れた奴隷にしようとした。奴隷として優れさせるために知識を与えた。想像力を育てさせないために他人との接触を断った。自分はきっと、チューリングマシンの中の人のようなものになろうとしていたのだ……まるで人間のように受け答えする、人間としての発想を持たない者に。
 たった一つの実験が自分を変えた。ただ諾々と従う存在にはなれなくなった。弟を殺して死を知り、彼女を失って不自由を知った。
 ……改めて、彼女が好きだったんだろうと言われたら、きっといまの自分は否定できないのではないかと思う。失いたくないと思った、というほど強い感情があったわけではないが、失ってもなんとも思わなかった、というほど無感情にそれを受け入れられたわけではない。
 弟を殺し、母を殺した時にわだかまっていたものが、彼女の死を引き金に噴出した。
 死にたくない、と、そう思ったのだ。生まれて初めて、そう思ったのだ。死を理解し、死による別離を理解し、そうしてようやく、忌避すべき死を悟った。
 生きるためならなんでもしてやる。それが誓いだった。弟を殺し、母を殺し、彼女を死なせた自分は、死んではならない。生きなければならない。全力でそうする義務がある。生きる者は、生きる義務を全力で背負わなければならない。
 出来ることはそう多くなかった。囚われの実験動物は、与えられる餌を食い尽くし、それをすべて血肉に変えながら、それを悟られてはならない……実験の目的から外れ、実験者に害を為す可能性のあるものは排除される。それを避けながら、知識と技術を練磨していく。
 耐えられなくとも耐えるしかない。肉体的な拷問よりもよほど拷問じみた二年間だった。それでも、自分が彼女を死なせたことを思えば、なんとか耐え続けることはできた。
 合衆国が発射した三発のミサイルが、世界を一変させた。自分の元となったミカドは死に、戦争よりも先に政争が始まり、権力者が交代して、自分の存在は不要に、どころか研究者の身を危うくするものになり始めていた。
 動くべきは今だと思った。これ以上の雌伏にはなんの意味もない。後は如何にして確実に研究所を脱出し、如何にして軍に潜り込むか、という問題だけだった。
 国情が国情であるから、若年者の志願兵もいないことはない。一番無難なのはそれだ。適当な人間になりすまして軍に入り、経験を積む。それが一番まっとうで、一番リスクが少ない。
 だが、それでは遅い。遅すぎる。そんなことをして階級を上げている間に、この国自体がなくなりかねない。それはなんというか、困る。戦争が終わってしまえば、自分に出来ることなどなにもなくなってしまうから。
 戦争が戦争である間に、自分は自分にできるなにかをしなければならない。焦りを覚え始めた頃、その男は現れた。