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 戦場はどこにでもある、とその男は言った。そして事実、結界のお陰で鎖国状態であるはずのこの国の中にも、いくつも戦場があることを知った。
 北に目を向ければ、有力軍閥が幅を利かせて中央を虎視眈々と狙っているし、西に目を向ければ、企業なのか非合法集団なのかも曖昧な連中が割拠して権力に食い込んでいる。それらは当然火種を伴い、場合によっては炎上することもある。
 男の属する特殊部隊は、その火消し役、というのが表面上の位置づけだった。しかし実際には、軍内部の権力抗争に敗れた者たちが放り込まれる墓場のようなものだった。捨てるには惜しいが飼い慣らすには危ない。だから捨て駒として有効活用しよう、ということだ。
 特殊部隊の活動など地味なものである。どれだけ過酷な訓練を重ねたところで、死亡者、怪我人がゼロになるということはない。チームとして緊密な連携が取れたとしても、戦場という不確定要素の溢れる状況では、一時の気休め程度にしかならないのが実情だ。
 その部隊のアタッカーとして一年ほど過ごした。死にかけたことも何度もあるし、味方を死なせたことも何度もある。それ以上の敵を葬り、血に塗れても報いはなく、ただの作業として死を量産していく。
 一年経って、再び転機が訪れた。自分をシュネルギアという兵器のパイロット(正式にはギアドライバーというらしいが)にすると言われたのだ。
 なんでもシュネルギアというのは、適性を持った人間しか乗れない代物で、自分にはその適性があるのだという。むしろそれは最初から予定されていたことで、特殊部隊での実戦参加は、基礎能力の引き上げと戦場というものを覚えるための場だったらしい。
 なんだかんだ言って、自分には選択権などというものはない。そんなものはとうの昔に諦めていたが、ここに来て、こんなところでこんな目にあうとは思っていなかった。
 生まれてから二度目の逆上。それを男は軽くいなしてしまった。戦闘兵器として造り上げられた自分が、あっさりと取り押さえられてしまった。
 力が欲しければ、乗るがいい。それに乗れば、お前に敵う者はない。
 男はあまり多くを語らない。声を聞いたのだって久しぶりだった。そして言うことといえば、まさしく軍人でしかない言葉でしかないのだった。
 一時、この男に父親像のようなものを重ねていたこともある。一種のスーパーヒーロー、絶対者としての父性だ。ところがやはり、自分はただの駒でしかなく、男もまた駒の一つで、上位オーダーに従うだけの人間だった。
 絶望した、と思われるかもしれないが、そんなこともなかった。ただ、諦めはした。自分は常になにかの犠牲になり続けるしかないのだと諦め、悟り、受け入れた。
 より切実に、自分が残せるものを求めるようになった。いつ死ぬかもわからない、遠からず死ぬしかない自分が、これだけの人間を自らの命運に巻き込み死なせてきた自分が、一体どれほどのものを残して死ねるのかと、そればかりが気になった。