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 学校について早速中隊長に電話を入れてみたら、あいにくと午後一しか余裕がないということだったので、午前中で授業を切り上げて基地に戻ることにした。一緒に昼食を取れないことに対して、真智は不満そうだったが、深くは追求してこなかった。
 それを信頼だと割り切れれば、自分がこんな思いを抱くこともないのかもしれない。そんなことを思いながら基地に戻り、約束の時間通り、中隊長室を訪れた。
「私個人としては、貴様らが乳繰り合おうが何をしようが構わんが」
 あんたはもう少し歯に絹を着せるべきだ。いつもそう思う無遠慮な物言いで、中隊長、御前静中佐はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「軍には体面というものもある。もっとも、貴様のような小僧を兵士にしていてもなお、気にするような体面が残っているのであればだが」
 つまり、御前中佐自身は、まったくもってこれっぽっちも自分と真智の同居という件については、興味がない、ということらしい。反対する理由はないのだから好きにすればいいだろうと、そういうことのようだ。
「だが、それを望まない連中もいる。逆に、そうしたケースを望んでいる連中も」
 実際問題、どっちでも構わない。ただ、そうすることによって、新たな義務が生じることになる。そういうことらしい。
ギアドライバーとナビゲーターをセットにして、天使核の成長実験をしたがってる連中がいる、と?」
「察しがいい奴は、老若男女問わず好きだよ」
 つまり、お膳立てはする気になればできる、ということだろう。要は、体面云々よりも、それに理由がつくかつかないかが重要だということだ。
 ただ、そうすることによって、自らをモルモットにしなければならない。それを受け入れられるのか、ということである。
「否はないです。無理を言っているのは自分ですから」
「仕方がない、ということか?」
「他に材料がありませんから」
「貴様のような奴を、こざかしい、と言うのだよ」
 いきなり話を逸らして、御前中佐はデスクの引き出しから爪切りを取り出し、爪を磨き始めた。
「貴様も、おそらくは黒根少尉も、それでもかまわない、と言うだろう。貴様が苦手としている私のところにわざわざ直訴しに来たのだから、それぐらいのことはわかる」
 人というのは、そこまで冷静に自分を観察できるものなのか、と少し驚いた。自分が御前中佐を苦手にしているのは事実だが、それをそんなにも露骨に表面に出したことはない。そういう自己制御は、以前の学校で嫌と言うほどならされた。
 だから、自信すらあったのだ。表出する感情の制御については。
「だがね、それはなにかを引き換えにしてやるようなことじゃない。貴様は今、目的と手段を取り違えている。だから、許可はしない」
「そんな」
「もう少し賢くなれ。そんなことをしなくても、貴様は望むものを手に入れることができるし、それ以外の方法でも、その手段を実現することは出来る。無理をして短絡的に結果を得ようとするのはバカのやることだ。目的を見誤るな。遠回りすることが、案外近道かもしれないぞ?」
 その言葉がどういうことを意味しているのか、実際のところ、よくわからなかった。
 ただ、この人がこういうことを言うからには、なにがどうあっても自分の請願は受け入れられないだろうことだけはわかった。一度決めたことは絶対に覆さない。覆すに足る理由がない限り。この女は、そういう理屈の持ち主だ。
 勘ですべてを判断するくせに、勘で下した結果に対して理屈をひねりだしてしまう。その理屈に筋が通っていようがいまいが関係なく、それ以上の理屈を勘だろうと理性だろうとなんでもいいからひねり出して見せなければ、決して受け入れはしない。
 答えを先に出して理屈を後から考えるタイプだ。そういうタイプとやりあうには、いまは材料が少なすぎる。
「では、目的をたがえない手段を提示した時は、協力してください」
「かまわんよ。私は私の興味のあることにしか興味がないからな」
 御前中佐を動かすのは、打算と言えば打算だが、打算を超えた餌を用意する必要がある、ということだ。御前中佐の好奇心に適う答えを用意すれば、いま自分の抱えている葛藤は解決するらしい。
 この人の憎めないところは、この人があると言えば、それは本当にあるんだと思わされることだ。こんなにいい加減な人なのに、その思考も行動もすべてが現実に根差している。
 どこまでもいい加減なプラグマティズム。だからこそこの女は軍人だし、軍人として成功していると言える。
 兵隊に必要なのは、いつだって即物的な目標だ。
「話はそれだけか? なら下がれ」
「失礼します」
 おざなりに敬礼をして、中隊長室を辞する。
 何をすればいいのかわからないが、他にもまだできることがあり、自分がそれをしなければならないということだけが、この面談の収穫だった。