選択における恣意性

今回ははてブの言及からの連想です。

はてなブックマーク - セッションという場 - TRPG履歴
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/standby/20091007/p1

id:knsr 議題に対する決をとる会議というよりは、ブレスト的なノリじゃなかろうかー。

ブレストってなんじゃら、と一瞬考え、ああブレインストーミング、と気付きました。

ブレインストーミング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

ノリ、としては確かにおっしゃる通り、近いんじゃないかと思います。
でまあ、それに関連して、どこが似ててどこが似てないか、現状についても含めての連想を。
ただまあ、現状って言っても、あんまり最近のシステムは知らないんですけど。買って読むほどのお金はないし。


下記の4段階の過程については、問題ないというか適用可能だと思います。

  • 量を重視する(質より量)
  • 批評・批判をしない(批判厳禁)
  • 粗野な考えを歓迎する(自由奔放)
  • アイディアを結合し発展させる(結合改善)

特に3番目までは、物語を発想する段階では非常に重要でしょう。
しかし、4番目を実施するためには、「問題定義」が必要になります。実際には、意見を出すために、「なんの意見を出すか」という前提に関わりますので、これがなければ始まりすらしないものでもあります。
そしてこれは、セッションの場においては、あまり整理されずにいることが多くある、と感じています。
その原因は、「問題定義」をどのようにするか、という点においての手法が欠落しているため、と推定します。極論すれば、「なにをやっても自由」な状況下において、「なにを問題とするか」と問うことはできないからです。


方向性それ自体はともかく、なにはともあれ方向付け自体がなければ前提を定義できず、意見交換をすることはできません。前提、つまりコンセンサスありき、ということです。
TRPGなので、「ゲームをする」でもいいとは思うんですが、「どのようなゲームをするか」を決める、あるいはそれを決めるところからブレインストーミングする、というような前段階が必要になるんでしょう。
基本的にはそれは、なんらかのシステム、ソードワールドであるとかダブルクロスであるとかエンゼルギアであるとか、そうしたものを選択した時点で漠然と方向づけられているように感じますが、実際にはそれぞれのシステムにおいて、参加者自身が意識する要素はシステム全体の一部に過ぎないだろう、と言えます。
どんなシステムであれ完全には把握できませんし、どんなシステムであれ、理解できる要素を理解しようとするものだからです。


システム選択の時点で恣意性が発生し、そのシステム解釈でも恣意性が発生していることを度外視してすり合わせをしようとしても、そりゃあ無理だよねと。それぞれの恣意性を了解した上で、どのような恣意性を選択するのか、あるいは合成するのか、あるいは廃棄するのかを全体で決めなきゃいけないことになる。
それを決めるだけで一日終わってしまいそうですが、一日終わったところで決まりそうにもありません。ためにする議論が楽しいならそれに否はありませんが、本題としてのゲームに到達できないのであれば本末転倒です。
まあ、そんなのはシステム自体に求められるものではないだろうし。それぞれのセッションの場でルールとマナーを守ってやるしかないんでしょうけども。
ブレインストーミングは、それぞれがなにを考えているかを"自由に"提起するのには使えそうですが、果たしてその結果をうまいこと使うにはどうすればいいんだろうかという点で、新たな疑問が芽生えてしまったのでした。
ある程度型枠を用意しちゃうのが早いんだろうなあ、とか。