ゲーム上における学習の位置づけ

さて、どこの記事にリンクしたものやら、ではあるんですが、どうせなので元記事からリンクを張っていきたいと思います。

マリオ型TRPGシステムデザインは可能か――「ゲームの成立」をめぐって - G&G, Inc. blog
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20091009/1255073604

Re:マリオ型TRPGシステムデザインは可能か ――ドラクエ1王様の部屋の一考察 - TRPGのススメ?
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20091012/p1

そして、最近過去ログ方向へ読み進めているこちらからまた引用です。

賢いウマ -  陰陽師的日常
http://blog.goo.ne.jp/hocuspocushr/e/98764332d3c7c57de3f11d09f0724111

1.教師が教えるつもりでいることが、教師の意図どおり学習者に伝わるとはかぎらない。
2.ただしい答えが出たからといって、学習者が教師の意図どおりの内容を正しく理解したと思いこんではならない。
3.教師がどんなすぐれた教授法を採用しても、学習者しだいでは何の効果もしめさないことがある。

まあ、そんなことはあえて言うまでもなく当たり前じゃろ、と言われてしまうとそこで終わる話ではあるんですが。
個人技術のシステム化による弊害は、2の形で露出するだろう、と私は考えています。これは、システム化を進めれば進めるほど、システム利用者はシステムの意図を理解する必要がなくなっていくために、結果的にそういう形になっていく、ということです。
で、マリオ型TRPGには、3の問題があるだろう、ということを考えます。


ただし、これらの問題点は、あっても問題がない、という点を、まず明示しておきたいと思います。なぜなら、学習自体は手段であって、目的ではないからです(たぶん)。システムの意図を理解しようがしまいが、つまり学習効果自体がどうあろうが、それは運用には関係がない。
「手続きにおける型を理解すること」というのが、ここでの目的のはずで、なので、「剣で敵を切るという行動をこのゲームシステムではどのように抽象化しているのか」なんてことは理解する必要はないわけです。(ドラクエなら)「このゲームシステムで剣で敵を切るためには、剣を装備して、敵が出てきたら『こうげき』を選んでAボタンを押す」ことを理解すればいいわけです。
プログラムのIf文と一緒です。Ifという関数を使って適切に記述すれば条件分岐できますよ、ということを教えれば、とりあえずそれでいい。Ifという関数の存在を理解してもらえばいい。条件分岐としてSelectを使うかIfを使うかは、そのあとで(自由に)考えてもらえばいい。
ここでいうマリオ型TRPGに求められている「システムデザイン」というのは、そういう段階の話だろう、ということです。
まあ原文での意図は違うかもわかりませんが。少なくとも私はそう解釈してます。


そこから抜け出して、いわゆる自由な発想を盛り込んでいくかどうか、盛り込んで遊ぼうとするかどうかは、意欲、あるいは単に趣味、流儀の違いにしかならない。そういうことをしてもいいことを知っているかどうかの知識の差もあるかもしれないけれど、それはそれこそシステムに依存する話で、自由な発想を盛り込む"べき"なシステムは、最初からそこまでフォローしておけばいいし、そうでないシステムは、別にフォローする必要はない。
すべてのシステムですべてのことが再現できる必要はない以上、「このゲームでは、こういうことを、こういう形で再現している」ことがわかれば、ゲームシステムとして、またそれを利用する分において、特に問題はない。


そうして、そのゲームシステムで使われている『用語』を、(システムとの)共通理解にできれば、システムが理解できている、と言える。我々がゲームで遊ぶ場合、ゲームシステムを介して(擬似的に)参加者間のコミュニケーションを取っている以上、この点はどうにも外しようがない。
つまり、システムごとに把握必須な『用語』を無視することはできない。いわゆるインストールというのは、把握必須な『用語』の定義を共通化することだろう、とも言えます。『用語』の本来の意味自体は、この場合無視してもかまわない。
ドラクエで言えば、『たたかう』というのは、「(装備した武器で)敵を攻撃する」ことであって、「能力値の力の値とか武器固有の攻撃力がどういう形で影響して敵に攻撃を試み、敵は素早さの値に基づいて攻撃を回避したかどうか判定し、判定に失敗したら体力の値だか防御力の値だかで減衰された数値がダメージとして適用される」、なんて理屈は、別に覚えなくていいわけです。せいぜい、『たたかう』で攻撃されたら避ける可能性があるから判定する、ぐらいのことです。
意味づけは、システム上必要であれば、覚えればいいし、覚えられるような設計にすればいい。ドラクエで覚える必要があるのは、「HPが0になったら死ぬ」こと、「MPが0になったら魔法は使えない」ことです。
『こうげき』を選ぶのがいいか『まほう』を選ぶのがいいかなんてのは、システムが考慮する必要はないことです。極論すれば、「武器を装備する」とか「防具を装備する」ことすらも、システムが考慮することではない。それらを選択するのはシステムではなく、ユーザです。
低レベルプレイとか、装備なしプレイとか、魔法使わないプレイとかの制限付きプレイは、システムによって制約されないし、制約する必要もないってことです。


であれば、id:koutyalemonさんが言うとおり、「システムデザインじゃなくてシナリオ側で処理したほうが早い」ということになる。システムが用意した意味を、別の形で解釈するのも、システム利用者の自由、だから。Webサービス全般において、設計者の意図しない利用方法が出てくるのと同じ理屈において。
ただし、ここでは一方的に暫定的に、「キャラクター作成はシステム側ではなくシナリオ側の作業」としています。キャラクターの装備だのなんだの、できることがどうだとかいうのは、システムではなくシナリオの範疇ですので。
(ただまあ、そんなのただのテクスチャじゃねえのと言われると、そうですねー、ってなっちゃいますけども。そうなるとシステム側かなあ、とか。キャラクター作成はリソース配分の話だと思うんですけどねえ。そうなるとシナリオ側かな、というのが私のスタンスです)


ということは、システムデザインの意図するところは、シナリオによって(デザイナーの意図は度外視してでも)補完されるべき、ということになる。もっと言えば、システムデザインの意図は、シナリオによる運用に影響を与えるべきではない、ということにすらなる。
それでは、id:ggincさんが言う「「ゲームを成立させるための営みが,それによって成立したゲームと同様面白い」と言っているだけで,「ゲームが成立しなかった場合のリスク」について何も応えられていない」ということになる。
もちろんこれは、〈設計〉と〈運用〉を別のものである、とした場合の話で、これをどこまで分離する/できるのかについては、考慮が必要ですが。そこに「メカニズムの改造」というキーワードが絡んでくると思いますが、おそらく、システムごとの状況に応じて異なるだろう、という玉虫色な結論になりそうな気がします。
(余談ですが、このid:ggincさんのご意見において、「失敗は成功の母である」という位置づけは存在しないんだろうか、ということがちょっと気になったり。まあなにをして失敗と呼ぶのか、というメタな方向に逸れるので余談なのですが、でもこの話自体が大概メタなレベルでの話ですよね)


なんかぐだぐだなんで極論でまとめますが、「公式設計」の意図を利用者がどこまで「尊重してあげる」必要があるのか、ってことになると思います。私としては、利用者は「公式設計」のことなんて気にする必要はない、という立場です。「なにをしたら、どうなるのか」さえはっきりわかれば、後のことは自由にやればいい。
そこから先は、システムの責任ではない以上、システムに干渉されるいわれもない、ということになりそうです。システムになんでもかんでもやってもらうというのは、幸福であることは市民の義務ですと告知されるようなもんじゃないでしょうか。


追記
二種類のシステムと二種類の操作性の区別が曖昧なことに気づいたので、後日その辺の整理がついたら別エントリをあげます。