物語の仮想実体と物語の解釈者

こめんどくさそうなタイトルですが。

セッションの場で行われる話し合い - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20091008/p1

(もっとも、それが白雪姫が望んだ状況か、といえば、白雪姫は徹頭徹尾、どんな状況も望んでいない、とすら言えるかもしれません。が、これは物語の解釈の話で、そうなるともう別の話です。しかし、物語の解釈という形で発展性があるのは、物語としては成功なのかもしれません)

上記で言う「物語の解釈」をしているのは誰か、という部分を掘り下げると、それはセッションの参加者である、と言える。ただし、セッションの参加者は、一次解釈者である、としたほうがより正確かもしれません。主体的な参加者が解釈した物語と、その物語を客観的に解釈した物語は、別個のものになるはずなので。
例えばリプレイ読者は後者になるかと思いますが、セッションの場においては、後者を意識する必要はない、と考えます。少なくとも商業リプレイのように、客観的に物語を解釈できる必要がある場合、というような例外事例を除けば。もっともリプレイは、客観的に物語を解釈しやすいような改変か、少なくとも組み換えは行われると思うので、セッション自体とはやはり違うものになりそうですが。
関連して、以前こんなエントリ書いてます。もう一年前のエントリになります。相変わらず同じような場所で足踏みしてる感じです。

想像される"物語"の孤立性 - TRPG履歴
http://d.hatena.ne.jp/standby/20080928/p1

さて、ではSという物語があったとします。StoryのSという安直さです。
AとBは、GというGMの元、Sという物語をTRPGで体験した、とします。まあ別にGMはなくてもいいんですがTRPGっぽくするためにあえて定義します。
この場合、「AにとってのS」と「BにとってのS」と「GにとってのS」は、まったく異なります。それぞれが見るSというのは、それぞれが理解するS’という虚像に過ぎないからです。そしてここが一番肝心なところですが、それぞれはS’は理解できるにも関わらず、その実体であるSは存在しません。まるで空気のように。

タイトルで言うところの「物語の仮想実体」というのは、上記エントリで言うところのSのことです。誰もがそれを解釈しているはずなのに、実際に「物語の解釈者」が理解しているのはS’にすぎない。解釈者ごとにS’が発生する。一次解釈者であれ、二次解釈者であれ。
解釈というのは、言いかえれば理解であり、意味づけです。これ自体は、まず確実に孤立します。しかし、解釈の元、上記で言うSという仮想実体は、少なくとも解釈できると認識できる形で存在していなければならない。たとえ空気であろうとも。
物語が解釈の産物であるとするなら、物語というものをことさらに意識してTRPGをする必要はない。セッションの結果に意味づけして解釈できれば、それが物語になってしまうから。


しかしまあ、それではシステム的に物語を成立させる手法を考える意味がないので、外部要素を用いて物語になんらかの意味づけをする必要が出てきます。主観的物語ではなく客観的な物語を作る、ということをシステム的に支援する。
ということは、セッションの場に、セッションの場にいるメンツで構成された状態に、外部性を挿入する必要がある。内輪の場にしかならないところに、どうやって外部性を挿入するか。なんだかトンチみたいな話です。


外部性は純粋な外部性である必要はなく、擬似的に外部性であればいいのではないか、というところで、「他PLのPCの行動に対する意思決定介入システム」を漠然と考えました。
現在でもあるセッション中の他PLへのフォローを、システム的に、もっと露骨に組み込んでみよう、というのが主眼です。
PLは「他PLのPCの行動を決定する権利」と「他PLからPCの行動を決定される義務」を持ちます。義務を果たすと、権利を得ます。他PLから介入を受けたPLは、他PLへと介入することができるようになるわけです。権利を行使することが経験点の算出基準になり、多く権利を行使したものが多く経験点を得ることができます。多く権利を行使するためには、多く義務を果たす必要があり、他PLからの介入を受ける必要があります。
これは既成システムにも挿入可能です。そして、この仕組みを使用する場合は、「物語を重視したTRPGを遊ぶ」という前提を誰もが受け入れている、とします。
(物語の好みの傾向とかはとりあえず無視します。あと、経験点以外の報酬系を採用してもいいと思います)


他PLからの操作を受けても破綻しないPCとはどういうPCか。
それは、いわゆるキャラが立っていて、他人から見ても把握しやすく、どういう行動を取るか推測しやすいPC、ということになります。この前提を満たすPCというのは、物語を度外視したとしても、一緒にプレイングしやすいPCではないでしょうか。
しかし、他人というのは思いもよらないことをするものです。どんなに理解していると思っていたとしても、理解は主観に過ぎない以上、相違することはいくらでもあります。
その相違を受け入れること。それは、実際にプレイする上では、わりと当たり前に受け入れなければならないことです。ただし、それを空気に仮託してしまうと曖昧になるために、システムによって可視化してしまおう、ということです。


まあこれがうまく回るかどうかはわかりませんが。そういうのもありじゃないかなあ、なんてことをぼんやりと検討中。