メタ視点の判定/英雄の条件

あえてざっくりと書きます。

メタリアルフィクションから生じる英雄 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20091010/p1

少々珍しい例では、PC版”ひぐらしのなく頃に”において、前原圭一がプレイヤーは知っていて彼は知らないはずの竜宮レナの物語の結末を知り、その悲劇を回避するための努力を開始するというのもありました。
この最後の例で顕著ですが、物語中の登場人物がその登場人物が持ちうる認識を超えた決断をする時こそ、英雄の誕生の瞬間なのではないでしょうか。

話の本筋を少し逸らして、メタ視点について、メタな方向に議論を振ってみたいと思います。
というのも、私は、PCが持つ情報が、PCが「持ちえるか/持ちえないか」という観点で判断することは不可能であるし、そうであるなら意味がない、と考えるからです。
これは、我々がPCをゲームシステム上で再現する上で、人生すべてを再現できるわけではない以上、どうしたってPCの情報を把握しきれないからです。そもそもそんなものは、個人の能力というか、人間の能力を超えたところにある。
天才のPCと凡人のPLのパターンじゃないですが、そうした不整合は絶対に埋められません。埋められないものに汲々としてもリソースの無駄です。


そしてまた、我々は、実生活において、テクスト化された情報のみで判断を下しているわけではありません。テクストの背景にある膨大な文脈を読み解いて初めてテクストの意味を判断しているに過ぎない以上、「NPCであるAが情報Bを喋った」なんていうテクストがあったとしても、PCはNPCAからし情報Bを伝えられない(受け取れない)、なんてことにはならないからです。
(フラグ管理に特化した場合は別だと思いますが、フラグ管理としての情報管理はここでは主題ではないので省きます)
我々は、日常的にメタ視点で情報を判断している(はず)というのが私の認識であり、であるならば、ゲームの中だからという理由でそれを排除するのは、逆に判断上の不整合を生じてしまうのではないか、とすら思います。普段やっていることをやるなと言われても難しい、ということです。


もちろん、ゲームなわけですから、電波がとか、神の啓示がとか、そういう方向性で情報を収集するのもありですが、あまりにも突飛な判断は除外したくなるのが人情なのかもしれません。
でも、それは、メタな視点とは関係のない話じゃないでしょうか。突飛な判断を除外したいのは、突飛な判断だからではなく、マスタリングに不都合が生じるからとか、そういう理由ではないでしょうか。であるなら、情報の入手経路がメタか/メタでないかが、それほど重要な論点になるとは思えません。きちんとした経路で入ってきた情報でも、GMの想定外の判断を導き出すこともあり、それに例え合理性があったとしても、GMは待ったをかけるしかない、というのは、そういうことでしょう。実際に待ったをかける/かけないの判断はGM個人の力量の話になるので省きます。
ともかく、マスタリングに不都合が生じないなら、電波やら神の啓示やらで仕入れた情報に基づいて行動することに、なんの問題もない。ソードワールドだかロードスだか忘れましたが、神聖呪文にそのものずばり「啓示」ってのがあった気がしますが、あれが嫌われやすいのは、マスタリングに不都合が生じるからじゃないんでしょうか。それが情報源として織り込み済みの状況なら、別に困らないのではないか。


さて、それらを踏まえた上で、英雄の条件と重ね合わせてみると、「大穴を狙って的中させる」のが英雄、というのが私の認識です。そして、PLの役割は、メタ視点によって、「PCの主観的には大穴だけれど、PL視点で客観要素を加えるとそうでもない状況」で、「PCに(比較的)安全に大穴を的中させる」ことである、と考えます。
「運」を操作することができる、というのが英雄の条件であり、これを可能とするのがメタ視点である、というのが、私のメタ視点解釈です。
先の例で言えば、情報Bというテクストの入手経路は、いくらあってもいいわけです。それが、単なる状況証拠に牽強付会を重ねた願望の形であってもいいわけです。実際になにが正しいかはPLはわかっていて、PCはそれを「分の悪い賭け」として認識している状況下で、あえてPCに決断させることができれば、それは英雄の条件を満たせてしまう。
acceleratorさんは「物語中の登場人物がその登場人物が持ちうる認識を超えた決断をする時」と書かれていますが、ここでいう「認識」というのは、登場人物=PCの主観のことで、主観的には賭けにすらなってない状況で、勝算を掴むのがPLの役割だ、ということになります。PLはPCの状況に対してお膳立てができるし、それを積極的にやればいい、ということです。PCが思いきれなさそうなら無理にでも理屈をこじつけて思いきらせてしまえば、あとはお膳立てした状況の中でPCが動く、と。


小説や漫画の登場人物の英雄的行動にしても、同様の説明付けができます。つまり、「作者はそれが分の悪い賭けではないことがわかっているが(なにしろ自分で結末を創造するんだから)、登場人物はそんなことはわからない」からこそ、登場人物の決断は英雄に値するわけです。
それは吟遊詩人とどう違うんだと問われれば、なにも違わない、と答えます。英雄というのはそういうものだ、と。しかし、GMだけがこれをやれば吟遊かもしれませんが、参加者*1が他者と協調し、利害調整を繰り返した上で状況のお膳立てを組み上げていくのは、果たして吟遊なんでしょうか。
だからこそ、物語を嗜好する時、煩悶も生まれるわけですが、それはまた別の話。

*1:あえてPLとは書きません