「いますぐこの痛みをなんとかしてくれ」という訴えにはシステムは対応できない

つまり、役割として、の話ですが。
エントリタイトルのような訴えに対応できるのは、システムではなく運用者で、システムという枠組み自体はなにもしてくれないし、なにもできない。改めて言うほどのことでもないんですけども。
なんらかの問題があったとして、それがどういった問題なのかは判断する必要がありますが、解決する方法にも二つの筋がある、ということです。問題が起こっている現場で、対症療法的に解決するか、起こった問題を検討し、あるいは起こりえる問題を検討し、再発を防止し、また発生を予防するか。
システムは、再発の防止や発生の予防はできるが、実際の問題には対処する術を持たないものです。実際に問題に対処する人間を度外視して問題を解決することはできないからです。システムは、事前・事後には対応できるが、最中には対応できない、と言い換えることもできます。


シナリオを作りたい、でも作れない、という問題において、システムは、こうしたら作れます、こうしたら作りやすいです、という仕組みを用意することはできるが、実際にシナリオを作ってはくれない、ということでもあります。システムは行為者ではなく、行為者にはなりえない以上、システムの能力や性能は有限となる。
たまによく、「シナリオの作り方」みたいなキーワードがアクセスログに残っていますが、「どう作っていいかわからない」人向けに対応するのはシステムでもできますが、「シナリオを作って欲しい」人向けに対応するのはシステムでは不可能、という話ですね。


もちろん、運用とシステムが明確に分離できる問題ばかりではないので、線引きは非常に難しく、また恣意的になりますが、しかし問題を検討する段階ではその区別を明確に意識しておかないと、対処を誤ることになる。
システムに問題があって運用上で誘発された問題があったとしても、それは事後にシステムレベルでパッチをあてて対処するしかないことであって、「だからシステムが悪いんだ」と言って解決できることはでない(心理的にはそれでもいいかもしれません)。システムは、再発を防止しても、発生を予言するわけでもなければ、再発しないようにできるわけでもない。ただ再発しづらくすることだけができる。
まあ、明確に問題があるシステムになっていて、それを如何ともしがたいのであれば、発生の予言はできるかもしれませんが。


困ったちゃんのまとめサイトを見ていると、運用の問題をシステムに押しつけて事足れりとしようとする事例が時折あるのになんかもにゃもにゃしてたので整理してみたのでした。
パッチを適用する際のフォーマットとかあれば、システムの問題も解決できるし、問題についても共通認識化できるのかなあ、なんてことをぼんやりと考えつつ。まあそれを公知するには公式がもっとオープンにならなきゃいけないわけですが。オープンにするために必要なリソースを確保できないんでしょうね。たぶん。
問題があることを認識しつつ、問題を公開することによって「悪用されるから」という理由で抱え込むというのは、実際にはかなり悪質なシステム運用じゃないのかなあ、とかなんとか。まあ情報格差を確実に埋められるわけではない以上、いたしかたないとする向きがあることは理解しますが。