この朽ちたる身が願わずにはいられずに(5)

 このタイミングで出頭命令か、と、自らの身の胡乱さを理解している加賀見節子は、胸中でのみ嘆息を吐いて、ヴィヴリオ大佐の執務室の扉を叩いた。
 合衆国の工作員が潜入している……基地ではそんな噂が蔓延している。出撃機で続発する故障、基地施設の不調、個々を見れば取るに足らないことばかりだが、それも程度の問題で、連日のようにそんな話を聞かされれば、どんなに鈍かろうともなにかあるということは感じるだろう。
 事実、何かはあるのだ。
「加賀見中尉、参りました」
「入れ」
 いつもながら、冷たいヴィヴリオの声が返ってくる。感情というものをまず見せることのないヴィヴリオは、瑞穂基地のG3を統括する立場からはそれが当然であるものの、見た目は十四、五の少女である。それが一層の凄みを増す、というのだから、並の将兵が最も苦手とする高級将校でもあった。
 扉を潜り、まずは敬礼する。執務室には他の者の姿はなく、やはりこれは厄介ごとだという思いを新たにしながら、ヴィヴリオの言葉を待つ。
「特務を与える」
 短くそれだけを言い、書類の束をデスクに投げ出したヴィヴリオは、まずは読めと視線だけで指示してきた。
 逡巡してもどうにもならないと判断し、礼を失するのは覚悟して敬礼をやめ、事務的な歩調で歩み寄り、投げ出された書類を掴み上げた。
 表紙には極秘の印がある。閲覧はこの執務室のみで、ということだろう。
 表紙をめくり、ざっと目を通す。そこに羅列されていたのは、ここ一ヶ月に発生した機体の故障、及び設備の異常をリスト化したものであり、さらに読み進めると、それぞれの障害に関係した可能性のある者すべてがリストアップされていた。
 その水も漏らさぬ緻密さに脱帽の思いを濃くし、やはり一筋縄ではいかないとの思いを新たにした節子は、問うような視線をヴィヴリオに向けた。
「事が事だけに、な。他の者に任せるわけにもいかん」
 独り言のように、そんなことを呟く。私になら任せられると言うのかと、自嘲にも似た笑みが零れそうになったが、それはなんとか押し留めて続く言葉を待った。
「ヤシマ軍統合作戦本部所属、加賀見特務大尉。貴官に一連の騒動の犯人捜索を頼みたい」
 特務を与える、と言っておきながら、頼みたい、か。これだから……こういうことを平然とできるから、この人には逆らう気にはなれないのだと思った節子は、反射的に了承の敬礼を示していた。
「ヤシマの名に賭けて」
 私が統合作戦本部の特務でこの基地に来ていることは、ヤシマ所属の者も知らない。だがヴィヴリオは知っていた……知っていた上で見逃し続けてきた。こうして自分の手駒として利用するために。
 統一帝国とヤシマは、同盟関係にあるが、純粋な意味では協力関係にはない。それは必然が押し通した、いわば済し崩しの結果であって、それを望んでいたものがいたのかどうかすら怪しい。
 現在の統一帝国には領土がない。一時は世界の半分を支配したとまで言われたというのに、合衆国が天使兵を投入した世界大戦での敗北により、根こそぎ国土を失ってしまった。ヤシマも状況としては似ていたが、得意の結界術によって鎖国したため、国土こそ世界大戦前の状態を維持していたが、こちらは天使兵に対抗できるだけの技術を持っていなかった。
 対天使兵器の開発において、統一帝国は世界に先んじていた。それは、裏を返せば合衆国が操る天使兵と同等の兵器を開発していた、という事実の証明でしかないが、それがなければ、例え鎖国したところでヤシマにも未来がなかった。
 現在、ヤシマの国土には、元統一帝国臣民が暮らしている。世界大戦時から継続する同盟がそれを可能にしたが、所詮は他国だ、そう簡単に融和できるはずもなく、そもそもどちらにもそんな気は毛頭なく、合衆国を打倒した後の世界の覇権を巡って、水面下での愚かな権力闘争に明け暮れていた。
 ヴィヴリオ大佐は、生粋の統一帝国軍人である。それでいて、統一帝国軍という体裁にこだわることをしない。使えるものは使うという、ただの合理主義と見ることもできたが、権力の中枢近くにありながらそれに惑わされない高潔さを快く思っていた。
 私はなぜ統一帝国を選ばなかったのだろうか、と、少なからぬ後悔が頭をもたげたが、是非もないと胸中に押し留めて、唇をきつく結んだ。
「今回の一件、どう収拾をつけても遺恨が残る。敵は天使兵だけではない。……残念ながら、それが我々の現実だ」
「小官はヤシマの軍人です。しかしいまは、瑞穂基地の将校です。基地の将来を憂える身としては、同感であります」
 国籍にこだわること、それ自体を否定するつもりはない。自らの生まれた国に誇りを持つこと、それが生きる支えになることもある。だが前線でそれにこだわりすぎて友軍を信じられなくなったら……待っているのは死、のみである。
 現状は、どうしようもなく運命共同体なのだ。それを置き去りにヤシマだの統一帝国だの言ってもどうにもならない。
「苦労をかける」
 徹頭徹尾、表情はない。それでいてその裏にある感情の動きを読み取れる気がするのは、似た者同士の証明か、単なる妄想か。
 どうしようもない願いを抱いているという、ただそれだけの共通点しかないというのに。
「では、小官はこれにて」
 敬礼を残し、退出する。忙しくなる……自分の立場の複雑さを再度振り返り、不敵な笑みを浮かべた節子は、それもまた自分の選んだ道だと締め括った。