(28−6)


 手遅れなのは決まっていたことだ。それ自体をどうこうできるなんてことは、真智も考えていなかったに違いない。
 ただ、一言告げたかった。告げることによって、救いの可能性を見せたかった。教えたかった。示したかった。
 それを受け入れてもらえれば、それは真智の救いにもなるから。死に行くものが救いを抱けるのなら、そのために殺すことは罪ではないと思えるから。
 だから真智は、たぶんきっと、新城繭を殺すために病院に忍び込んだんだと思う。
「いらっしゃい。今日はいい月夜ね」
 新城繭は、ベッドの上で微笑みながら俺たちを迎えた。
「こんな時間まで起きてるたぁ、ずいぶんと不良娘だな?」
 病室の戸口に立ち尽くす。自分は繭を警戒して、真智は足がすくんでしまったせいで。
「あなた方なら、来てくれると思っていたの。優しいあなたなら、愚かな私を哀れんでくれると思ったの」
 真智の肩が震える。同意するしかないのに、同意することが出来ずに、その感情の狭間で心が揺れる。
 繭を哀れんでいるのは本当だ。それが、自分が優しいからだ、なんて真智は考えない。自分が優しいなんてことは、欠片も考えはしない。ただ、同情している……気持ちがわかると思ったから、ここにいるだけ。
 加害者と被害者は紙一重だからこそ、真智には繭がわかる。パートナーを殺した真智と、パートナーに殺されようとしている繭の違いは、そう大きくはない。
「あなたなら、きっと私を殺してくれるって思ったの」
 そうなんでしょう? と言いながら、笑う。この場面で、この状況で笑える神経は、すでにまともではない。まともとは言えない。自分を殺しに来た相手を前にして笑うなんて、まともではない。
 まともではないからこそ、それがわかっていながらここにいた。たぶん、それだけのことだ。
「俺はそんなに優しかないけどな。でもまあ、こうしなきゃならない、ってのはわかるぜ」
 懐から取り出した拳銃を構え、繭に照準を合わせる。真智が慌てて手に縋り付こうとしたが、寸前で思いとどまった。俺の指はすでに引き金にかかっている。無用な刺激は、引き金を引くのを早めるだけだと気付いたんだろう。
「なんで!?」
 叫んだのは真智。繭は笑うだけ。
「重度のエーテル中毒。悪化はしても良化はしない。それはこいつ自身が言ってたことだ。まあ、見たまんま事実だろうしな。だったらこいつはいずれ天使化する。それでもこいつは死ぬ気なんてない」
 唇の端を釣り上げて笑う。そうだとも、お前の姿は、守る者を持たない俺の姿だ。
 だから俺が、この手でケリをつける。見逃すという選択肢もあったが、ここに来てしまった以上、それをしなければならないことは痛いほどよくわかっている。
 真智がこいつに深入りすれば、ろくなことにならない。自分にも真智にも関わらないのなら、どこで誰が野垂れ死のうが関係ないが、真智に害を与えるのなら、容赦はしない。
 似ているからこそ、俺にはよくわかる。俺こそがそうなんだから。
「下がってろ、真智。お前は気付かなかったかもしれないが、俺もこいつも、初めて会った時にわかってたのさ。世界に毒を撒き散らさなきゃ死ねない奴もいるってことが」
 真智の目的は知らない。真智がなんのために新城繭に会おうとしたかなんて、実際のところ興味はない。
 次に会ったら殺すと決めていただけだ。
「下がらないよ!」
 両手を一杯に広げて、射線を遮る。俺が冗談でこんなことをやる奴じゃないことは、真智ならわかっているはずだ。それでも銃口の前に身を投げ出したのは、信頼か、愚かさか。
「あたしは、ヴァンに人殺しをさせるために来たわけじゃない!」
「別にいいじゃない。私に死ぬ気がないのは事実。あなたも、そこの彼も巻き込んで死んでやろうと思っているのも事実。だから、あなたでもいいのよ? 私を殺すのは」
 繭に真智の表情は見えない。
 真智は、泣きそうになったのを唇を噛んでこらえて、それでも少し、俯いた。
「……あたしは殺さないよ。もう、誰も殺さない」
 顔を上げた真智の目は、何も言わずに言っていた。殺させはしないと。
 それが真智の答えか。呆気に取られて、銃を下ろす。繭は死ななければならないのに、なにを言っているんだ。
 その言葉に驚いたのは、自分だけではなかったらしい。
「じゃあ、なぜ?」
 なぜ、ここに? なにをしに、ここに? お優しいあなたが哀れなわたくしめを哀れむのは、なぜですか?
「殺すとか殺されるとか。……そんなのおかしいよ。あたしたち、まだ子供なのに」
 子供なのに、子供だからといって、それが通用しない場所にいる。
 それぐらいのことは真智もわかっていて、自分たちが戦争をしていて、戦場に立っているなんてことは、いまさら誰に言われる必要もなく、真智はわかっている。
「あたし、新城さんは、セラピアのことが殴りたいんじゃないかと思ったの」
 セラピアは悪くないと言った繭が?
「理屈は、わかるよ。新城さんがずっと入院することになったのは、別にセラピアのせいじゃない。だから、セラピアは悪くないって言うのは、とてもわかるよ。新城さんがセラピアを嫌いじゃないことも、嫌いになりたくないって思ってることも、わかる」
 じゃあ、なぜ? 間抜けなことに、繭と同じ言葉しか思いつかない。
「でも、気持ちは割り切れないよね? セラピアは悪くない。でも、セラピアはわかっていた。こういうことになるとは思ってなかったとしても、なにかが起こることはわかっていた……だからセラピアは無事だったんだから。……許せないのは、それを自分に相談してくれなかったことじゃないの?」
 結果なんてどうでもいい。それで誰が死のうがかまわない。
 信じていた相手に、裏切られた。自分は信じていたのに、相手は信じてくれていなかった。
 許せない。許せない。確かにそれは、よくわかる。
 自殺したあいつは、あいつは俺を信じていたのに、俺があいつを信じていなかったから死んだ。絶望というのは、そういうことだ。
 報われない想い。
「あたしは許せなかったよ。亜梨花ちゃんが許せなかった。……私が殺したのに、自分で殺したくせに、それでもそれだけは、許せなかった」
 そしてそれが、真智の後悔の根源か。殺したことではなく、殺意を抱いたことこそが。
 天使化しかけたギアドライバーの射殺。それはナビゲーターの義務だ。その立場は時に逆転する。どちらがどちらを殺すことになるかはわからない。
 だが、そうなったら、やらなければならないことだけが決まっている。
「亜梨花ちゃんと一緒に死のうとしたけど、出来なかった。ヴァンに止められたから、っていうのもあるけど、でも、それだけじゃなかったと思う。……あたしは、勝手に死んだ亜梨花ちゃんが許せなかった」
 そうだ。結局そうだ。真智が生きてるのは、真智の意志だ。それは、俺が決めたことじゃない。
 そんな当たり前のことに、いまさら傷つく。やはり、俺は真智を救えない。
「……だとしたら、なんなのかしら?」
 繭は警戒の眼差しで真智を睨み据えた。これがこの女の本性だ。どれほど上手に猫をかぶったところで、同類にはその匂いを隠せはしない。
「私がセラピアを許せない? ええそうよ。私もセラピアも、シュネルギア部隊が発足する前からここにいた。シュネルギアという兵器が技術的に完成する前から、試作機を動かし、二人で一緒に、それに乗ってた」
 陰々と、鬱々と、独白のような恨み言を吐く。
「何年付き合ってたと思うの? 5年よ? 10歳になる前からこんなところに連れてこられて、親からも引き離されて一人ぼっちで、話し相手といえば士官か技術屋だけ。そんな中で、私とセラピアは育った。私にはセラピアぐらいしか友達がいなかった。他のものは全部取り上げられてしまったから」
 最初期に見出されたギアドライバー、か。特務クラスが出来る前から入院していた、ということは、子供は学校に通うものだという常識すら与えられなかったというのなら、年相応の扱いを受けていなかったことは想像に難くない。
「私はセラピアが好き。嫌いになんてなれない。セラピアがいたから辛い訓練も我慢できた。一緒だったからなんでもできた」
 でもそれは、と繭は言葉を切った。
「でもそれは、私の一方通行な気持ちだったのよ。こんなところに閉じ込められた時にわかったわ。セラピアにとっての私は、とるにたらない他人でしかなかったのよ」
 あまりにも気持ちが大きすぎて、好きなのに、好きだからこそ許せなくなった。
セラピアのことは好きよ。大好き。家族のように愛してる。だからこそ許せない」
 愛しているのに、愛してくれないから、許せない。
 そんなものは子供の我侭だ。しかし繭は、子供なのだ。
「あのね、それでね、えっとね」
 緊張感を台無しにする真智の声。顔を真っ赤にして、俯き具合に手をもじもじさせている。思わず眉を潜めるぐらい、その変化は唐突だった。
「私たち、友達になれないかな……?」
「……は?」
 繭が無防備な素顔を晒してしまうほど、その言葉は予想外の一言に尽きた。
「あ、あのね、あたしじゃセラピアの代わりにはなれないのはわかってるの。セラピアみたいに明るくないし、喋るのも得意じゃないし。でもね、一緒にいてあげることはできると思うよ? 新城さんが寂しくなったら、一緒にいて、手を握っててあげられると思うよ? だから……ダメかな……?」
 なにを言っているのかわからない。繭の反応は、そうとしか表現できないものだった。
「手を握ってって……子供じゃあるまいし」
 小声で呟く。
「あたし達、子供だよ。子供なんだよ。……認めようよ。それだけは、どうしたって変わらないんだから」
 それは、そうだ。その通りだ。どう足掻いたって自分たちは子供だ。戦争だなんだとお題目を唱えたところで、その事実が覆されるわけじゃない。
 当たり前なことを忘れさせる。それこそが戦争なのかもしれない。
「ケチのつけようもない話ね」
 溜め息を吐いて、繭が笑った。それは、いままでの作り物の笑顔ではなかった。
 何一つ変わっていない。繭が死ぬ運命も、セラピアの過去の仕打ちも、何一つ変わったわけではない。
 それなのに、その笑顔は変わってしまった。
「だ、ダメかなやっぱり……? あたしなんかが友達じゃ迷惑だよね……?」
「いいえ、とんでもないわ。お友達になってくださるかしら? 私、こんなに我侭だけれど」
 繭の許しを得て、ようやく気が楽になったのか、真智はようやく病室に入り込んで、繭のベッドの脇に立った。
「うん、大丈夫、我侭なのはこの人で慣れてるから」
 我侭で悪かったな。
 それでも、真智の笑顔を見て、これでよかったんだと、そう思う。繭が物分りのいい優等生の仮面を捨てて、同級生と雑談に興じるただの女の子になったんだから、これはいいことなんだと思う。
 この息苦しさは、だから俺の咎で、俺の我侭にすぎない。真智に救われるばかりで何一つ救えない俺は、その行動にも決断にも口を出す権利はないから。
 新城繭の孤独は癒された。俺は戸口に一人、立ち尽くした。