(29−4)


 お前が殺した母親は、お前のことを案じていた。
 その男は開口一番、そんなことを言った。
 たとえ殺されたのがお前でも、同じことを言っただろうし、やっただろう。お前の母親は、ただの代理母になるには情が強すぎたが、ただの母親になるには理性が強すぎた。遺伝的繋がりはなくても、自分の腹を痛めた子供なのだから、情の一つや二つは湧くだろう。十月十日も腹の中にいたことを考えれば、それが当たり前のことだろう。
 ただ、それを素直に表すには、お前たちに遺伝的な繋がりがないことが障害になった。自分の子供なのに、自分の血を引いていないという事実が、お前の母親にとって、常に足枷になり続けた。
 理性が感情を殺し続けた。お前が弟を殺した時、理性という箍が外れた。
 あれは、それだけのことだ、とその男は言った。
 何を言っているのか、しばらく理解できなかった。その男は、これから自分を引き取る……教導役になるという名目のお目付け役で、より自分の自由を奪うべき男で、だとしたら自分を人間扱いすることはないだろう、と思っていた。この研究所の連中のように。
 だというのに、むしろその男こそが、彼女以外では初めて自分を人間扱いしていた。
 お前はある試みのために造られた。その試みは、計らずも合衆国の手によって無意味になってしまったが、お前という存在が残ってしまった。いまさら言うまでもないことだと思うが、お前は持て余されている。だから私が引き取ろう。だから私が後見となろう。造られたことはお前の責ではない。私はお前に権利を与えよう。
 その男との会話は、当然ながら、盗聴、監視されているはずだった。いままでただの一度も自由を得たことはなく、だからこそ、自分の前で本音を喋る奴は彼女ぐらいしかいなかった。
 その男の言葉は、本音に聞こえた。もしかしたら、そう思いたかっただけかもしれない。それでもその時の自分にとって、その言葉が本音に思えたという事実こそが大事だった。
 私は軍人だ。お前には戦場しか与えられないだろう。だが、約束しよう。そここそがお前を活かす場所であると。
 自分が戦場のプロフェッショナルとして育てられたことは自覚していた。そこでこそ自分の十四年間が活きるだろうということも自覚していた。それを活かす機会は、それでも自分で掴まなければならないと思っていたのに、その男はあっさりと与えると言い出した。
 そして同時に、これもなにかの実験であり、罠なのかもしれない、という警戒が湧いた。ここで頷けば、反乱分子として始末されるかもしれない。
 答えがないことをどう受け取ったのか、男は巌のような鉄面皮を欠片も緩ませずに、なにかを待ち続けているようだった。
 男が入ってきた扉から、軍の特殊部隊と言ったいでたちの男が、自動小銃を小脇に携えて入ってきた。そして男に何事かを耳打ちし、すぐに部屋を出て行った。
 この研究所は我々が制圧した。さて、君はどうする?
 ぞくりとした。この男は、最初からそのつもりだったのだ。この研究所を制圧し、自分から選択肢を奪い、否と答えたら迷わず殺すだろう覚悟をもって、自分の前に姿を表したのだ。
 決断をするには気づくのが遅すぎた。覚悟を決めるには、それでも十分だった。
 そうして自分は、やがて自らの国に弓を引く者の一員となった。